散歩道: 赤田神社(山口県山口市吉敷赤田5)

 山口県山口市吉敷赤田5に建っている「赤田神社(あかだじんじゃ)」です。JR矢原駅から徒歩約56分。JR湯田温泉駅からだと60分位、玄済寺からなら30分位です(googleマップ経路情報より) 
 実際、玄済寺から歩いて30分位かかりました。国道435号線に出てからは、ナビ通り国道に沿って歩きましたが、東側の吉敷川沿いに、国道と並行して、車が余り通らない道が有りました。

赤田神社 御由緒

 当社は、今から約1900年前、成務天皇9年9月9日(139) に、出雲国杵築の大社(現在の島根県の出雲大社)から大己貴命の 御分霊をお迎えして、ここから約3キロメートル南方の吉敷中村の地にお祀りしたのが始まりといわれています。
 その後、養老元年(717)に神様のお告げによりこの地にお遷 しし、爾来約1300年間、吉敷地区の中尾、赤田、佐畑、中村、木崎の里の氏神様として厚く信仰されてきました。
 また、防府の玉祖神社(一の宮)、徳地の出雲神社(二の宮)、 宮野の仁壁神社(三の宮)、大歳の朝田神社(五の宮)と共に周防五社の一つに数えられ、その第4番目に当たることから「四の宮さ ま」の呼称で地区民をはじめ近郷の人々に親しまれてきました。
 現在の社殿は、江戸時代後期の建立で、拝殿の天井には内藤鳳岳 画伯作の竜が描かれています。また、社殿の彫刻は、吉敷出身の内海忠勝元内務大臣の実兄吉田岩亀翁の作といわれています。この作者2人は共に吉敷に大変かかわりが深く、私たち吉敷地区民のすば らしい財産でもあります。
                                境内の案内板より

 拝殿の左側に社務所がありました。社務所の建物の左側のカウンターの上に書置きの御朱印がおかれてました。宮司さんが、御在宅なら、直書きもあるようです。

   御朱印のページへ




 一の鳥居は、国道沿いすぐの場所に立っていて、そこから、国道と吉敷川の狭い間に参道が続いていました。二の鳥居の前には、「肥中街道」と彫られた石柱が立っていました。中世の大内氏の拠点であった山口(山口市)と海の拠点だった肥中(下関市)を結ぶ街道の途中だったようです。
 二の鳥居の前まで行くと、少し先に拝殿が見えて来ました。



 山口の狛犬の特徴なのか、首が短いのか?前に屈んでいるのか? ちょっと低めの物が多かったような気がします。前から見ると普通に狛犬ですが、後ろから見ると首を斬られたように見えて一瞬驚きました(・0・;)  また、赤田神社の特徴か? 特に”吽の狛犬”は、「いーだぁー!」してるように見えました。
 社殿は、拝殿・幣殿・本殿(案内板上は神殿)と並び縦長に建っていました。拝殿の天井には、大きな龍の絵が描かれていました。大蛇(ヤマタノオロチ?)を退治しているようなレリーフの額なども飾られてました。



 赤田神社の社殿の右側には、恵比須神社が建っていました。赤田神社の社殿に比べると小ぶりですが、拝殿・幣殿・本殿(案内板上は神殿)が揃ってました。恵比須神社のすぐ右側には吉敷川が流れていて心地良いせせらぎの音がしてました。
 赤田神社の社殿の左側には、「紡伎廼舎 (つむぎのや)」の看板を掲げた集会所の建物が建っていました。社務所と言う字は見え無かったのですが、案内図上・社務所になっていました。建物の左側の窓口前にカウンターがあり、その上に書置きの御朱印が置かれていました。インターフォン等は無かったので声を掛けてみましたが、お留守のようでした。


Φ ポケストップがあります・・・・ 赤田神社参道
Å ポケモン・ジムがあります・・・奉寄進、赤田神社

  

  玄済寺 ⇐ (前)   ::   (次) ⇒ 出雲大社山口分院

/* クリッカブル用コード */