山口県山口市上竪小路100に建っている「八坂神社(やさかじんじゃ)」です。JR上山口駅から徒歩約15分。JR山口駅からだと25分位。豊榮神社から八坂神社の社殿までなら5分位です。(googleマップ経路情報より)
社殿が北側に建っていて、入口の赤い大鳥居(扁額:八坂神社)は南側にあるので、今八幡宮や豊榮神社の方から行くとちょっと遠回りになります。南東方向には旧名の祇園社との扁額を掲げた石鳥居もありました。今回は北側の社殿に近い方から入りました。
大内氏の迎賓館とでも言うのか、お客さんの接待用に建てられた築山館の跡地に建てられているそうです。
境内には、すぐ近くに八坂神社と築山神社の社殿が並んでいました。野田神社と豊榮神社と似た配置ですが、こちらは、板垣や廊殿とかで1つに繋がってたり囲まれているとかではなく、普通?に並んでいました。社殿は、見た目も大きさも、明らかに違っていました。
拝殿は、先ほど参拝した今八幡宮と同じように楼門と拝殿が一体化している構造のようです。
八坂神社の祭礼・祇園祭で行われる鷺舞は、観光パンフレット等でよく見た覚えがあります。
山口大神宮へ参拝した辺りから「水の上」と言う表記を見る事が多くなって来ました。「水の上に社殿を建てた」と書いてるのを見て「池の中にでもお社を建てたのかな?」と思ってましたが、「水の上」と言う地名だったようです。瑠璃光寺が建っている香山町の南側から山口バイパス(国道9号線)の辺りが「水の上」町と言うようです。
本社は今から六〇〇余年前に大内弘世が京都から勧請した もので、素盞鳴尊・稲田姫命·手名槌命·足名槌命を祭神としている。
はじめ社殿は上堅小路に建立されたが、さらに水の上に社地がかえられた。その後、永正一六年(一五一九)に大内義興が、大神宮を高峰山麓に建立したとき、本社もその地に移し、 社殿を新築した。江戸時代の末期毛利氏は社殿をこの地に移したが、本殿は永正年間に建立されたままのものである。
本殿は三間社流造りで屋根は檜皮葺である。本殿の周囲に 配されている、一三個の変化に富んだ蟇股は、珍稀な図柄とともに室町時代の特色をよくあらわしている。
本社の祭礼は七月二〇日の夜から七日間にわたって行われるが、古来山口の祇園祭として有名である。大内氏の時代から伝わっている神事「鷺の舞」(山口県指定無形文化財、昭和 四八・一〇・一九指定)も、この祭りのとき奉納される。
境内の案内板より
八坂神社からは、東へ6分位の所にある今八幡宮の拝殿の右側の授与所で頂けます。
Φ ポケストップがあります・・・・ 八幡神社の灯籠、八坂神社手水、Yasaka Shrine、国指定重要文化財八坂神社の鳥居
Å ポケモン・ジムがあります・・・八坂神社の鳥居