山口県山口市天花1丁目1−2に建っている「野田神社(のだじんじゃ)」です。JR上山口駅から徒歩約12分。JR山口駅からだと約27分。今八幡宮からだと3分位です(googleマップ経路情報より)
今八幡宮に隣接しているので、社殿までは、今八幡宮の裏手、八柱神社の横の坂道を下ってすぐです。
野田神社と豊榮神社は、隣り合っていますが、別格の神社で参道や鳥居もそれぞれあります。しかし、神門同士も木塀?で繋がって入るし、社殿の部分も、拝殿同士が翼廊で繋がり、前方から両サイド後ろの方まで続いているので1つの大きな建物のように見えます。中には入れないのですが、本殿はそれぞれ分かれて建っていました。殆ど左右対称って感じにしか見えませんでした。私が気が付いた範囲で、違うのは、神社名が書かれている扁額や石柱部分と、狛犬が角有と角無し位でした。
境内は広いのですが、神門と拝殿の距離が近いうえ神門と拝殿の間に能楽堂?神楽殿?が建っているので、社殿と塀による圧が強めです(^_^;)
左側が野田神社で、毛利敬親公を祭神、敬親公の子毛利神元徳公を配祀神として祀っています。
右側が豊榮神社で、毛利元就公を祭神として祀っています。
拝殿の前に建っている能楽堂?神楽殿?の所に木製の御朱印書きがありましたが、かなり擦り切れていて読めませんでした。
野田神社は、幕末の長州藩主・毛利敬親公を祭神とし、敬親の子毛利神元徳公を配祀神とする。敬親公は明治四年(一八七一)の死没後豐栄社の別殿に祀られ忠正神社と称していた。明治九年に野田神社に 改称して県社となり、大正四年(一九一五)に別格官幣社となった。 元徳公は明治二十九年(一八九六)の死没後、明治三十一年に合祀された。その後、大正五年(一九一六)に摂社芳宜園神社を創立して分祀されていたが、昭和十一年(一九三六)、元德公四○年式年に当り、野田神社に配祀された。社殿は明治十九年(一八八六)の建立である。
境内の案内板より
野田神社からは南東の方向、椹野川を渡って少し登った辺り、徒歩で約25分位の所に建っている古熊神社の社務所で頂けます。
Φ ポケストップがあります・・・・ 山口 野田神社 石碑
Å ポケモン・ジムがあります・・・野田神社能楽堂