熊本県熊本市中央区黒髪5-7-57に建っている「桜山神社(さくらやまじんじゃ)」です。JR東海学園前駅(豊肥本線)から徒歩約24分。渡鹿菅原神社からだと19分位です(googleマップ経路情報より)
渡鹿菅原神社からだと、白川と言う大きな川の橋を渡らないといけないので、直線距離の割には、時間が掛かります。
県道337号線沿いで、ちょっと家々が途切れた場所に建っていました。入口辺りに案内が出てますが、入口は狭めで、鳥居は少し中に入った場所に立っています。
大きな道路沿いですが、境内に入ると木々に囲まれた薄暗い静かな空間になります。鳥居くぐって右側に曲がった先に拝殿が立っています。拝殿の後ろには、ちょっと間を開けて本殿が立っていました。本殿の前にも石鳥居がありましたが、地震の後遺症か? 上の方が崩れていました。
社殿の右側に「神風連資料館」の建物が建っていました。「神風連資料館」と言うと、字だけ見て神風特攻隊関係かと思っていたのですが、全く違いました。1876年(明治9年)に熊本市でおきた神風蓮の乱(しんぷうれんのらん)と言う反乱の事だそうです。明治になって急激な西洋化や廃刀令等に反対した旧肥後藩士族の反乱との事で、神風連の乱自体は1日で鎮圧されましたが、その後、各地で同様の乱が頻発して最終的に「西南戦争」へと続いて行ったそうです。
桜山神社は、大正二年に建てられたもので、当初は桜山祠殿と称されました。その後、昭和二十三年九月に祠殿から神社へとなったことに伴い桜山神社と称されるようになりました。
神殿の奥には「誠忠之碑」と「百二十三士之碑」の2つの碑がたてられており、「誠忠之碑」は、維新の際に国難に殉じた肥後勤王党の宮部鼎蔵(みやべていぞう)などの二十三士を祭っており、「百二十三士之碑」は、神風連の変にたおれた太田黒伴雄(おおたぐろともお)ら百二十三士を祭っています。
また、拝殿の西側には、敬神党百二十三士の墓碑と肥後勤王党の育ての親である林桜園(はやしおうえん)の墓があります。
現在は、ここに2百七十六柱の霊が祭られています。
境内の案内板より
拝殿の右側に「神風連資料館」があります。そこの受付で御朱印を頂けます(入館料は払わなくても頂けます)
ただ、最新のニュースを見ると「神風連資料館」は2024年9月2日を持って閉館されるそうです。今後の御朱印はどうなるのでしょうかね?
Φ ポケストップがあります・・・・ 桜山神社
Å ポケモン・ジムがあります・・・神風連史料館