熊本県熊本市中央区渡鹿6-11-89に建っている「渡鹿菅原神社(とろくすがわらじんじゃ)」です。JR東海学園前駅(豊肥本線)から徒歩約11分。熊本市電(路面電車)・水道町駅近くのホテルからだと徒歩で37分位です(googleマップ経路情報より)
龍神橋で白川を渡ってからは、ナビに従って行くと、一の鳥居、二の鳥居から境内へと案内してくれましたが、結構入り組んでます。一の鳥居も少し下がった場所にあるし、一の鳥居の後も、住宅地の中を通り、交差点で、90度左に曲がる場所もあります(一応、案内は出てます) 神社の裏側から入ることになりますが、白川を渡ってからは、細い水路沿いに行った方が近そうで分かり易いかも(googleマップでは道が切れてますが、道は繋がってます)
元々は古代人が早鷹神の森として信仰の場であった場所に、菅原道真公没後、一緒に祀られ早鷹天神へ。更に田畑への水の供給のために渡鹿堰を整備したさいに、堰の守護神・分水神を合祀して現在の渡鹿菅原神社になったそうです。拝殿の左側の方に、境内社・早鷹神社と荒神社が建っていました。
御祭神:水分神、菅原道真公
往古は、早鷹神の森(現在渡鹿五丁目)として古代人の信仰の寄り所であり、集いの場所であった。
さて、延喜3年(903年)菅原道真公が没せられたので、神の森は早鷹天神となった。ついで、天正16年(1588年)に、熊本城主加藤清正公が、白川から田迎、出仲間方面への田畑の水路(1,2,3の井手)をうるおす為に渡鹿堰を完成された。清正公は大喜悦され、堰の守護神(水分神)と早鷹天神の分身(菅原道真公)を尊崇するようにと現在地に神社を創建された。この渡鹿堰の水路で、三千町歩の田畑から見事な肥後米が生産された。
然し、時代の推移と共に、御社殿が破損し、宝永8年(1711年)享和2年(1802年)と他数回にわたり本庄、田迎、長溝、大江方面の水利関係者の寄付と奉仕により、修理された。
さて、近年になり、破損が甚だしいので、再建の運びとなった。今日に至る迠に、実に1080年いじょうの歴史が刻まれている。
境内の御由緒書きより
拝殿の右側に社務所の看板が掛かった建物はありますが、もう使って無い感じでした。社務所の入口に「御用の方は境内地西側の宮司宅へ」と言う張り紙がありました。鳥居のすぐ横のお宅で、神社とは塀で隔てられているように見えましたが、玄関は境内から行けるようになっていました。玄関口に近づいていると、ちょうどお出掛けで中から出て来て下さいました。
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