
広島県広島市東区温品8に建っている「清水谷神社(しみずだにじんじゃ)」です。JR矢賀駅(芸備線)から徒歩約35分。JR天神川駅(山陽本線・呉線)から48分位です(googleマップ経路情報より)
今回は天神川駅から歩きました。初めての場所だったので、時々止まってナビを確認しながらでしたが、50分位で着きました。
天神川駅から広島高速2号線の下辺りを北上、その後、県道70号線を北上します。天神川駅から府中大川に沿って北東方面に行く感じで、50分位歩きました。ナビで行けば良いですが、ナビが無いとちょっと目印が無く曲がる場所が分かり難いかもしれません。川沿いの道から水害碑が立っている場所から東にまっすぐ行くと石段が見えて来ます。お正月らしく紅白の提灯が飾られた結構長い石段を登ると右側の方に社殿が建っていました。
お正月だからだと思いますが、拝殿には神職の方が常駐され参拝者一人一人に大麻でお祓いをして下さってました。
社殿の左奥の上の方に神功皇后が船を留めたと言われている白地岩がありました。近くに見え、すぐ行けそうなんですが、少なくとも一般の参拝者が行ける道は無いようです。
広島では温品(ぬくしな)って地名はよく聞きますが、御由緒書きを読んで温品氏って氏族がいたと知りました。安芸武田氏の家臣だったようです。元々は「温科」だったようですが「温品」の字に変ったようです。温品(ぬくしな)ってちょっと変わった地名だったので、何処から来たのかと思ってましたが、少しわかったような気がしました。
昔、神功皇后九州に御幸の際、当村金碇に船を留め、現在の当社上の白地岩にて、三日三夜滞在され、清水にて洗米をする。と伝える。帰途も立ち寄られ、一夜の夢枕に白髯の老人現れ、この清水にて諸病を治し、飲すれば長寿を保つべしとの御神託を得られたという。
この由緒をもって、この地に社一宇を建立し、京都石清水八幡宮より、御祭神を勧請す。弘仁十四年(823)春に千天続き、当地農民当社に挙がって立願し雨乞いの祈祷をなしたるところ、たちどころに慈雨は千里を湿し万民の欣喜この上なしと伝える。
弘安四年(1281)八月、永町城主温品左衛門尉が社殿再建と伝え、また、棟札によれば永禄七年(1564)熊谷九郎少輔平広実が本殿を建立、降って元禄九年(1696)拝殿造営、寛政十二年(1800)本殿再建す。明治四年(1871)旧村内の摂末社十二社を合祀した。
なお、大正四年(1915)御大典記念事業として車を西向から北向に遷す。
境内の説明板より
普段は無人のようですが、お正月だったせいか、拝殿で神職の方が参拝者のお祓いや授与品の販売等をされていました。御朱印もそちらで頂けました。
特別な日以外だと、石段に向かう道の右側に神社の表札の掛かったお家がありました。恐らく宮司さんの社務所兼住居と思います(対応されているかは確認していません)












Φ ポケストップがあります・・・・ 武重稲荷大明神、清水谷神社石灯籠、御神木 大銀杏跡
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