
山口県山口市宮野下2001−1に建ってる「香山 常栄寺(じょうえいじ)」です。JR宮野駅から徒歩約24分。山口縣護国神社からなら8分位です。(googleマップ経路情報より) 臨済宗のお寺です。
山口縣護国神社からは北の方向に緩やかな坂を登って行きます。
お寺としてより、雪舟が本堂の北側に造った「雪舟庭(せっしゅうてい)」の方が有名かもしれません。
山門の所に「この山門から有料になります」との立札があります。(2023年9月現在 大人300円、中高生200円) 山門くぐって石畳の参道に沿って歩いて行くと一度右に曲がった先に授与所を兼ねたような受付があり、入場券はこちらで購入します。御朱印もこちらで頂きました。
受付前を左に曲がった先に鐘楼門があり、更にその先に本堂への入り口になる建物があります。
常栄寺自体は、元々は広島県の吉田郡山城内にあったものが、毛利氏が山口に移って来た時、地元にあったお寺と合寺して出来たものだそうです。この辺りのお寺は、時の権力者等に寄って、移動したり合寺したりと複雑のようです。詳しくは、常栄寺公式ホームページをご覧ください。
御朱印は、山門から鐘楼門に行く途中にある受付(入場券を買う所)で頂けます。
境内






山門をくぐると広い境内が拡がり、その中を石畳の参道がクランク状に続いていました。道なりですが、最初の角を右に曲がった先に受付、2つ目の角を左に曲がった先に鐘楼門があります。
南溟庭(なんめいてい)




南溟庭は常栄寺二十世 安田天山老師が古典造園 の復元・修復や創作の大家 重森三玲に「雪舟より良い庭を作られては困る。恥をかくような下手な庭を作ってもらいたい。」と依頼。重森は固辞しましたが「上手に下手な庭を作ってもらいたい」と重ねて依頼。昭和43年 重森72歳のとき築庭したものです。
テーマは雪舟が入明し、帰国するまでに往復した 海をイメージしたとされています。
石は×字状に配置し有機的な繋がりを持たせた一方、苔による築山は方丈側を高くし、端部は洲浜形にして動きを持たせています。
高い本堂から立って見るため庭を俯瞰するように作られています。
本堂の張り紙より
本堂の南東側にある枯山水庭園です(案内板等には「枯山水」の文字は無かったのですが、たぶん)
本堂より低い位置にあり、高い場所から見下ろして見るように造られているそうです。
水は全く使われていませんが、中央部の石から波紋が広がるような模様が描かれていて池のようでもあり、盛土の部分が波、石が島に見え、海のようにも見えます。
本堂




鐘楼門くぐって真っすぐ行くと入口があり本堂の隣の建物から本堂に入れるようになっています。入口入って左側の階段を登ると本堂です。階段に行かず奥の方に行くと茶屋や明治天皇宿泊間等があります。
本堂は、南東側に南溟庭、北東側に雪舟庭と接していて、本堂の外周を一周する廊下を回ることで両方の庭園を色々な角度から拝見する事が出来ました。
内側は幾つかの部屋に分かれていて、御本尊の千手千眼観自在菩薩が鎮座されていますが、本堂と言うよりは、庭園を鑑賞するための回廊って感じでした。
雪舟庭(せっしゅうてい)
雪舟といえば岡山県総社市の宝福寺での小僧時代、涙で鼠を描いた逸話は有名ですが、後年中国に遊学して画聖と称せられるまでになりました。
この常栄寺は凡そ500年前、大内政弘が別邸として建てたもので、庭は雪舟に依頼して築庭させたものといわれています。後に政弘は母の菩提を弔うための寺、妙喜寺としましたが、時代の変遷にともない毛利隆元の菩提寺、常栄寺と合寺し、常栄寺となりました。
尚、この雪舟庭は禅味あふれる日本庭園の代表作として、大正15年に国により史跡並び に名勝に指定されています。 境内の案内板より












本堂の北西側に広がる雪舟庭です。本堂に近い側が枯山水、書院跡、その向こうが心字池を中心とした池泉回遊式庭園で回遊路で一周出来ます。回遊路の外側は、自然の山林に繋がり、先には、モリアオガエルの生息地や毘沙門堂、薬師如来堂など幾つかお堂等もあります
Φ ポケストップがあります・・・・ 常栄寺の鐘楼門、常栄寺本堂、大内政弘公母君妙喜寺殿の墓と画聖雪舟筆塚
Å ポケモン・ジムがあります・・・
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