
山口県萩市堀内に建っている「春日神社(じんじゃ)」です。JR東萩駅から徒歩約35分。JR玉江駅からだと24分位、観音院からだと24分位です(googleマップ経路情報より)
因みに、12時台に当たらなければ本来のルートで円政寺から徒歩約7分位です。
その次が萩城跡、志都岐山神社なので、観音院からだと少し逆方向になりますが、12時台に伺うのを避ける為、順番を入れ替えました。
結構敷地が広そうですが、googleマップナの案内通りで入り口に案内されました。住宅地の中ですが、林に囲まれた静かな中に立つ神社でした。
入り口には「春日神社」との扁額を掲げた石鳥居と社号標、県社の石柱等が立っていました。
石鳥居の先には神門があって、兜に見える暖簾のようなものが垂らされていました。近くまで行くと植物の葉っぱの図でした。こちら萩の春日神社は、奈良の春日神社から勧請されたそうで、奈良の春日神社の社紋の「下り藤」のようでした。ただ、奈良の春日神社の社紋の「下り藤」は、下側が閉じているのに対して、萩の春日神社のは、下側が外に開いていました。「下り藤」の末広がりバージョン? 余り見た事の無い珍しい紋章でした。
拝殿前には狛犬が一対。阿型は毬を踏み、吽型は子供持ちでした。子供を踏みつけている感が強い吽型の狛犬が多いのですが、こちらの狛犬さんは、子供を優しく守っている感が強いです。また、吽型の方だけ胸に茶色っぽい鈴が付いていました。
拝殿には、注連縄と社紋の暖簾。拝殿の中央部の参拝する辺りの上に迫り出してる屋根の部分の大瓦には、春日神社の社紋と毛利家の紋章が合わさったような図柄になっていました。
拝殿の扉は開いていて、中を拝見すると、拝殿の中に狛犬と随身が鎮座していました。拝殿の内部にあるのは初めてのパターンかな? また。中央からは、渡橋から本殿の正面が見え、同じく、社紋の暖簾が掛けられていました。
拝殿の天井には龍の絵が描かれているそうなのですが、修復中との事で、天井板自体が取り除かれていて、古民家みたいに天井裏が見えてました。
神門、手水舎、拝殿、本殿と社紋の暖簾が4枚づつ掛けられていたので、この「4」にも何か意味ありかな?
拝殿で参拝後、左側に有る授与所・社務所をお訪ねして御朱印をお願いしました。こちらでは、春日神社と萩城跡にある志都岐山神社の御朱印も頂けます。
萩の神社仏閣の方々、話好きな方が多いようで、御朱印を頂いた後も、暫くお話を聞かせて頂きました。
まだ、神社の左側の方には、阿武神社等、境内社とかもあったのですが、授与所・社務所を出る時には、すっかりと忘れていて、写真も撮り損ねました(^_^;)
後で撮った写真をよくよく見て気が付きましたが、玉垣(で良いのかな?)の部分の間には社紋の下り藤(末広がりバージョン)の形をした石が嵌められいました。また、入り口近くの石灯篭、4脚と思っていたら、もっとあるようで6脚かな?
萩市の御朱印巡りをして、神社仏閣で気が付いた事、
・4脚など多脚の石灯篭が多い
・違った形の石を組み合わされた特徴的な石灯篭が多い
・石灯篭の火袋?(本来、灯りを置く場所)が丸や四角、月の形をしていた
・玉垣に社紋の形をした石を嵌め込んでいる
等など、石、石灯篭に特徴があったような気がしました。
春日神社ホームページ
今から約千二百有余年前の大同二年、萩椿郷在住の国守某が奈良春日大社より御分霊を萩の地にお移しし、始め沖原に(当時萩三角州が出来ていなかった)、後土原妙見の杜に社殿を創建し、その後萩三角州の形が出来て、ほぼ中心の江向村にお移しした。毛利輝元公が 萩に居城せられ春日神社を城内の現在地に御遷座のうえ防長二州の繁栄祈願所と定め萩総鎮守として社領を寄進せられた。
寛政五年神職養成所(凝成館)開設、修了者に神主免許状授与す。幕末、藩庁と共に山口へ移設し国学院となる。
安永二年十月藩主毛利重就公が再建せられたのが現在の建物である。明治六年四月県社となる。なお廃藩に至るまで社殿の修理、大小の祭祀は悉く藩費によって行われた。
かくして平成十五年十月に千二百年式年大祭を斎行した。
頂いたパンフレットより
拝殿の左側の方に授与所がありました。こちらでは、萩城跡にある志都岐山神社の御朱印も頂けますのでお忘れなく。















Φ ポケストップがあります・・・・ 春日神社御由緒
Å ポケモン・ジムがあります・・・春日神社、阿武神社
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