
山口県萩市下五間町に建っている「長栄山 不断光院 常念寺(じょうねんじ)」です。JR東萩駅から徒歩約14分。弘法寺からだと10分位です(googleマップ経路情報より) 浄土宗のお寺です。
この辺りは碁盤の目状の道でした。こういう地形だと入口の無い場所に連れていかれる事が多いのですが、今回は、googleマップナビの案内通りで大丈夫でした。西側に入り口があります。
ちょっと狭い路地にいきなり立派な山門が見えて来ます。
聚楽第と言う、関白になった豊臣秀吉が京都に建てた政庁兼邸宅のようなお城の裏門だった建物を移築したものと言われています。秀吉が京都での拠点の為に建てた後、跡を継いだ豊臣 秀次が聚楽第に住むようになっていたが、謀反の疑いを掛け高野山に追放した。その時に、秀吉が聚楽第を壊したそうで、毛利輝元が裏門を拝領して萩に持って帰ったと言われているそうです。
山門の獅子の彫り物は左甚五郎の作と言われてるようです。
屋根は切妻造り本瓦葺き、桁行3.66m、梁間3.12mです。前の道があまり広くなく建物が密集している場所なので、見た目、実際の大きさ以上に大きな山門に見えます。
山門の前には木の柵が置かれ、通る事は出来ず、少し左側に実際に通れる門がありました。境内はあまり広くはありませんでしたが、緑が多く落ち着いたお寺でした。
萩城築城時に毛利輝元が常念寺を宿舎としたお寺だそうです。
境内に御縁起等の案内は見つかりませんでしたが、山門の説明がありました。
本門の形式は四脚門であって両脇にくぐり門がつく。もと京都の聚楽第の裏門であったが、毛利輝元が聚楽第解体の折に豊臣秀吉より拝領したものと伝えられる。
萩城築造の調査にあたり、輝元が当寺を宿所にした縁により、寛文10年当寺に寄進された。
規模は余り大きくないが、木割は雄大で、特に木鼻や板蟇股の繰形の雄渾さ、外にまではみ出した蟇股彫刻の豪放さなどに、よく桃山時代の特色を覗うことができる。
正背面の虹梁及び破風板は後補のものであって、懸魚は失われている。
表門横の案内板より
★ 木の年輪模様を生かした趣のある板の上に書かれているのですが、やや薄れて来ているのと、後ろの木目の模様と重なって読み難い場所がありました。「蟇股」「懸魚」等は、完全には読み切れて無いのですが、寺社建築用語ですし、前後の意味合いからも合ってると思います。もし、間違ってたらごめんなさい。
本殿の左側が庫裏・社務所のようでした。






Φ ポケストップがあります・・・・ Jonen Temple 常念寺表門、常念寺
Å ポケモン・ジムがあります・・・
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