
山口県萩市土原3区に建っている「寄舟山 弘法寺(こうぼうじ)」です。萩バスセンター向かいのホテルから徒歩約15分位です(googleマップ経路情報より) 真言宗のお寺です。
萩市御朱印巡り、2日目最初の参拝社です。
歩いて15分程度、同じ萩の街中なので楽勝かと思ってましたが、近くには行くものの、中々、辿り着けませんでした(^_^;) 分かってしまえば、入り口も幾つかあり、簡単だったのですが、googleマップナビの案内する道が、通れそうも無かったり、駐車場を突っ切るような道だったりと、ちょっと遠回りのつもりが、大きく遠回りになったりしてしまいました(^_^;)
北側や西側にも入り口がありましたが、表参道は、南側のようでした。山門とかは無く、参道の両側に別の建物が立っているのでちょっと分かり難いです。
境内は広く、町中にありますが、周囲の木々に覆われて、晴れてても薄暗かったです。周囲に大きな道路が走ってますが木々が音も吸収するのか? 境内は静かでした。
南側の門から入ると、ほぼ正面に本堂が立っていました。
本堂には、たぶん「龍花園」と書かれた扁額が掲げられていました。寺名でも山号でも無いので調べてみましたが、一般的には特に固有の意味は分かりませんでした。
本堂の右側先の方に石鳥居が2基と狛狐を配置したお社がたっていました。一の鳥居の扁額は左側が崩れて読み難かったですが、御縁起のなかにあった鎮守弁才天の「浮嶋弁財天」、二の鳥居の扁額は、もっと読めなかったのですが、恐らく「浮島姫大明神」「二位稲荷大明神」かなと思いました(一位か二位かは微妙な感じ^^;) お社は神社ぽいですが、窓は鐘の形をしていてお堂かな?とも。何時もの事ですが、神仏習合と言う事で、両方の要素が共存してました。お社(お堂?)の中には、御神輿が安置されてました。
本堂の左前辺りに比翼塚(夫婦塚)があり、2体のお地蔵さんが立っていました。「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」と言う中国の詩人が書いた「長根歌」の一説からで、これによく似た悲恋物語が萩にもあり、比翼塚と言う名前を付け、亡くなった二人を夫婦地蔵として祀っているそうです。
南側には、山口県18不動36童子霊場9番札所と書かれていたお堂(大師堂かな?)や比翼塚(夫婦地蔵尊)、北側には地蔵堂? 広い境内には、その他、宝篋印塔や石仏、石碑など多くの設置されていました。
昔は、もっと沢山のお堂などが立っていたとの事です。
大同元年(八〇六 平安初期)八月弘法大師空海和尚が唐の国 (今の中国)からお帰りなるとき、暴風雨で舟は進む事ができず困っておられた。その時一人の老人があらわれ「私はあなたがお帰りになるのを待っていました。是非、私の住む島にお寄りしてください。そうして仏の教えを聞かせて下さい。ご案内致します。」と申しました。大師はその願いを聞かれて、島に上陸されましたが、老人の姿がありません。どうしたことか とあたりを見回わされますと、其処に小さい社がありました。そこには弁才天が祭られていました。それではあの老人は弁才天の化身であったのかとおもわれて修めてこられた仏法をお説きになられました。これが当寺の鎮守弁才天であります。
暫く、ご滞在の後、末世衆生済渡の願いをこめて自分の姿を石に刻まれて立ち去られました。このお姿を当山のご本尊として居ます
このことから寄舟山と言い弘法寺と称します。
尼子領時代の戦乱の際、兵火にかかり永く荒廃していましたが、毛利綱広公(萩二代藩主)の時代に再興されて今に到っています。
頂いたパンフレットより
本堂の左側に庫裏・社務所がありました。




















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