中山神社(山口県下関市綾羅木本町)

 山口県下関市綾羅木本町に建っている「中山神社(なかやまじんじゃ)」です。JR綾羅木駅から徒歩約13分。綾羅木郷遺跡(下関市立考古博物館)からだと19分位です(googleマップ経路情報より)  
 googleマップナビだと、表参道の入り口を通り過ぎて脇参道の入り口の方に案内されます。表参道の前を通るので分かると思います。googleマップナビ通りでも問題無く神社には入れます。
 
 ちょっと歪な十字路みたいな場所に石鳥居があり、神門(天松門)、拝殿とまっすぐに参道が続いていました。石鳥居から少し左側先に、脇参道の入り口みたいな所にも石鳥居が立っていて、神門をくぐった先辺りに繋がっていました。見落とした可能性はありますが、狛犬はいなかったようです。石段は、社殿前の数段だけの平たい場所にありました。
 中山神社は、幕末の動乱の中で長州に逃げて来たが、後に暗殺された中山忠光と言う人物を祀っている神社だそうです。明治天皇の叔父にあたる方です。

中山神社由緒記

 社殿エリアの少し手前、参道の右側に社務所があり、大きな字で「御朱印受付」と書かれた看板が出てるのですぐに分かります。「中山神社」と「愛新覚羅社」の2種類がありました。


 表参道の石鳥居は「中山神社」と彫られた扁額を掲げ、同じく「中山神社」と彫られた社号標と共に交差点の角に立っていました。
 石鳥居の先には四脚門の神門で、手前の柱の所には「笑門」と書かれた小さな注連縄が飾られ、その後ろには金縁で、金文字で「天松門」と彫られた扁額を掲げていました。
 拝殿の前には少し間隔を置いて3つの鈴と3本の鈴緒がありました。金文字で「中山神社」と書かれた扁額を掲げ、前部前面には細いですが長い注連縄が掛けられていました。拝殿と繋がって左前側には参拝社者控所、右前側にも何かの建物がたっていて、「コ」の字のへこんだ場所で参拝するようになっていました。


愛新覚羅社

愛新覚羅社由来記

 拝殿からちょっと離れた左前辺り、宝物殿の前辺りにたっていました。「愛新覚羅社」って意味が分からなかったのですが、清王朝ラストエンペラーの溥儀の弟・溥傑命の「愛新覚羅」と言う苗字のようです。溥傑命、日本の公家・嵯峨家から嫁いだ浩命、娘の溥傑命の三柱を祀っているそうです。


祖霊社

 本殿の左側辺りにたっていました。豊臣家の家紋・五七桐の紋に「祖霊社」と彫られた石柱、屋根と柱だけの建物(神楽殿?)の奥に木造のお宮がたっていました。案内板等はありませんでした。説明はありませんでしたが、何故、五七桐の紋があるのか? 関ヶ原から明治維新までの歴史を物語っているのかも。


その他 境内の風景

 社殿の右奥辺りから少し登った場所に「藤原忠光卿 神霊」と彫られた墓石がたてられていました。中山忠光と言うお方は、明治天皇の叔父にあたる人で、幕末の動乱で長州藩に逃れて来ていたが、その後に暗殺されたようです。位の高い人のお墓がこんな場所にある事を隠すために、「中山」では無く「藤原」の名前でお墓を作ったそうです(諸説あるようです)

 拝殿の左側の先に宝物殿がありました。入場自由でした。中には御神輿や十二単の着物、掛け軸の書等、沢山の展示物がありました。入館料は無料でしたが、内部は撮影禁止になっていたので写真はありません。

 御朱印をお願いして社務所前で待っていると、遠くからニワトリの声が聞こえて来ました。鳴き声が段々と近づいて来てる感じだったので声のする方を見ると、社殿の裏の方からニワトリの群れが散歩でもしてるように歩いて来てました。ニワトリ達だけで、人が居てもお構いなしにマイペースで散歩して、社務所前から入り口の方に歩いて行きました。神社で飼育されているのかな?


Φ ポケストップがあります・・・ 中山神社造営寄付芳名録の碑、綾羅木会館、下関市川中武道館
Å ポケモン・ジムがあります・・中山神社 大鳥居、 中山神社 さざれ石 由来説明の碑

  

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