山口県山口市古熊1丁目10に建っている「古熊神社(ふるくまじんじゃ)」です。JR上山口駅から徒歩約16分。JR山口駅からなら20分位です。大路ロビーからなら16分位です。(googleマップ経路情報より)
大路ロビーから南方向へ向かい山口線の線路と椹野川を渡って西の方向になります。
菅原道真公とその子、菅原福部童子を祀っている神社で、「山口の天神様」と呼ばれています。
大内弘世公が、京都の北野天満宮から勧請されて、「山口北野天神」、「今天神宮」等と呼ばれていて、明治時代になって「古熊神社」となったそうです。
菅原道真公をお祀りしている神社は多いですが、御子の菅原福部童子をお祀りしている神社は初めてかも知れません。道真公を慕い追って来たが、此処山口の地で病死されたという事で、古熊神社に祀られているそうです。
菅原道真公御左遷の際、御子である菅原福部童子は父を慕って齡十一歳の御身を以てその後を追われるが、山口にて不幸にも病の為薨去なされる。当時の人々の手により山口の北野小路(現山口井筒屋附近) に祠堂を設けて祀られるが、応安六年(一三七三)、大内弘世卿が京の 北野天満宮より道真公の御神霊を同社に勧請し鎮座、福部童子を配祀し「山口北野天神」または「今天神宮」と称され、山口の人々に崇められた。元和四年(一六一八)、毛利秀就公により現在地に遷座し、明治 六年(一八七三)、現社号である古熊神社に改称する。
古熊神社で頂いたパンフレットより
入口の鳥居から社殿に向かう途中の石段の手前の右側に社務所があり、そちらで頂きました。石段の上、社殿前にも授与所がありましたが、普段は無人のようでした。
古熊神社では、此処から、北西へ徒歩で25分位の所に建っている野田神社、豊榮神社の御朱印も頂けました。
入口から参道
椹野川を渡ったら、真っすぐ西へ5分位歩いたら石鳥居が見えてきます。石鳥居の左側に塀、右側には道路が続いていて、入口周辺だけ見ると何か凄く狭く小さな神社のようですが、中は広いです。石鳥居から社殿までは、まだ100m位、参道や石段が続きます。
石段の上り口の手前右側に社務所があります。御朱印は、こちらの社務所で頂けます。
社殿と周辺
楼門に翼楼を付け、床板を張って拝殿にしたそうで山口独特の楼門と拝殿が合体した造りでした。拝殿と幣殿・本殿は渡り廊下で繋がってます。
本殿の梁の上の蟇股(かえるまた)、中央には「梅に大内菱」、向って右には「松に鳳凰」、向って左には「竹に鳳凰」と言うデザインになっているそうです。応仁の乱で京都などの古くからある神社仏閣が焼失してしまった事があり、古熊神社の蟇股が日本最古の”松竹梅” 蟇股になったそうです。
拝殿・本殿とも国の重要文化財に指定されていて色々特徴が多いのですが、木々が生い茂っていて本殿の方、辛うじて4隅に狛犬のような像が置かれているのは見えましたが、蟇股とかは見えませんでした。
*蟇股(かえるまた)・・梁の上にあって上の荷重を支える材。かえるが足を開いたような形からこの名がある(適当な写真が無いので、興味がある方は古熊神社公式ページをご覧ください)
古熊神社公式ホームページ : https://www.furukumajinja.com/honden
藤森稲荷神社
古熊神社の社殿の右側、金刀比羅神社のもう一つ右側に離れた場所に建っていました。
御祭神:倉稲魂神・事代主神・住吉神
御神徳:商売繁盛・五穀豊穣
石鳥居から90度左へ曲がって赤鳥居2つくぐった先にお社が建っていました。
古熊神社からみると南西方向、JR山口駅の北側の辺り相良小路と言われていた辺りに鎮座されていた藤森さまと稲荷さまを明治時代に古熊神社の境内に遷された神社です。
金刀比羅神社
古熊神社の本殿の右側に建っていました。
御祭神:大歳神、相殿:大山祇神、大物主神
御神徳 交通安全・海上安全
小さめの石鳥居と小さな祠の境内社です。石鳥居の横にいる狛犬は、現代風の風貌で町中でも散歩していそうな顔をしてました。
Φ ポケストップがあります・・・・ 古熊神社の鳥居、稲荷神社、
Å ポケモン・ジムがあります・・・ 牛、三森神社