散歩道: 田所明神社(広島県安芸郡府中町石井城)

 広島県安芸郡府中町石井城にある「田所明神社(たどころみょうじんじゃ)」です。JR天神川駅から徒歩約22分、多家神社からなら8分位です。(googleマップ経路情報より) この辺りまで来るとJR芸備線の矢賀駅から徒歩約19分と近くなりますが、芸備線便数は少ないです。

 多家神社からは北の方向。川を渡ると、狭い入り組んだ路地に沿って開く住宅街でした。どの道をどう通ったか不明ですが、ナビの言う通りに行けば、無事着きました。路地を曲がったらいきなり神社が現れました。社殿と石鳥居、手水鉢、石碑等、神社自体はこじんまりと纏まった感じでした。

 神社のすぐ左側が駐車場になっていて、塀沿いに写真、文献、地図、系譜図等々の資料が沢山貼られていました。後で宮司さんに駐車場の資料を使って色々説明して頂きましたが、元々は、安芸の国の国府(今で言うと広島県庁・県知事って感じでしょうか?)として安芸の国を治めていた格式の高い由緒ある大きな神社だったそうです。こちらの宮司さん、神社に伝わる文献や資料などを研究して論文を発表しているという凄い人で講演会なども開催しているようです。

 直ぐ近くに、日本名水百選に選ばれた「出合清水」があるそうです。今は飲料には出来ないそうですが、ここ田所明神社の御神水・田所名水は現在でもお茶、コーヒー、和食料理等に合う万能水だそうです。現在、水盤の水は止められていましたが、宮司宅をお訪ねすると頂けるそうです。
 後から地図をみると、「出合清水」は田所明神社と鵜上寺の間にあったので、近くを通ったはずなんですが、気がつきませんでした(^_^;)
 

田所明神社 御由緒

 御祭神 : 安芸津彦命 、 槻瀬明神 、 大国主命 、 飽速玉命
       市杵島姫命 、 宇迦之御魂神、事代主命
 
御由緒 : 
 当神社は成務帝(人皇13代、西暦135年頃)の御代に阿岐国造として、奉命された飽速玉命を主祭神とし7柱の神を守護神として祀られている。命の子孫爾後500年、広島市佐伯区五日市町三宅に住む。朝廷より田所職を置かれ、大化の改新の後、府中に国庁が置かれた。田所家は代々その職に任じ、故に家号とした。往古田所職は厳島明神、速谷明神、多家神に永代勅使として、神祭に臨み政務を司った。
 田所総判官代信職をはじめ歴代国府上卿職は厳島神社の定勅使を勤めた。中古より国庁神社の神事を中心に氏子の農耕養蚕商業によって生活の基礎が進められてきた。大正5年11月、多家神社社司田所元善(竹槌)が、国庁神社、槻瀬明神、大黒社3社の御祭神を合祀し田所明神社と改め、氏子万民とともに盛大な御遷座祭が斉行され国家安泰、家内安全、五穀豊穣等神明に加護を祈った。田所明神社は万民崇敬者の家内安全、農耕安産生育、厄除け、学業成就、商業繁栄等において霊験あらたかで神威明照御神徳高く尊崇篤き神社である。

                              境内の御由緒書き石碑より


 多家神社から行った時、田所明神社に着いたのが、12時5分頃。ちょうどお昼時だったので、参拝だけして、先に鵜上寺と江本寺を回って来て、13時頃に宮司宅をお訪ねしました。
 神社の後ろ側にある建物が宮司宅でした。入り口は神社の正面から見て左側、駐車場の後ろにありました。インターフォンが門には無く玄関扉の横にありました。門を開けて玄関前まで行ってインターフォンを押しましたが、暫く、「人様のお宅の門を勝手に開けて入っていいものか?」悩みました(^_^;)
 御朱印をお願いすると、男女お一人づつ出て来て下さいました(宮司さんと娘さんかな?) 女性の方が御朱印の対応して下さったので、「宮司さんは、丁度お出掛けする所だったのかな?」と思ったのですが、神社の由来や歴史を詳しく説明する為に態々出て来た下さったようでした。駐車場の所に、写真、文献、地図、系譜等々の資料が沢山展示されていて、それらを使って詳しく教えて頂きました。


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