
山口県下関市幡生宮の下町に建っている「生野神社(いくのじんじゃ)」です。JR幡生駅から徒歩約10分。中山神社からだと48分位です(googleマップ経路情報より)
中山神社から、googleマップナビで向かうと表参道入口の少し手前で終わりになります。もう少し先のY字路のような場所に入り口の石鳥居があります。
Y字路の道路沿いの角に「八幡宮」と彫られた扁額を掲げ、新品の畳表みたいなちょっと緑色っぽい色をした注連縄をしめた石鳥居がたっていました。鳥居からはすぐに急な石段が続いていました。
二の鳥居の先、ほぼ正面に拝殿、拝殿の左側から白瀧稲荷神社への道、拝殿の右側に授与所、幸せふくろう、勾玉像、人丸神社、少し間が開きますが、更に右側に社務所・宮司宅と横に並んでいました。横に広いですが、白瀧稲荷神社や宮山古墳など、奥の方にも広がっていました。住宅街の中の小高い林に覆われた山の中にある神社でした。
昭和二十年に幡生八幡宮から生野神社に改名したそうです。「幡生」も「生野」も、この近くの地名のようです。
御祭神 : 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、宗像三女神(多紀里比売命、 多岐都比売命、寸嶋比売命)彌都波能売神
御由緒 :
第五十六代清和天皇、貞観二年(千百数十年前)九月の創祀、当時京都大安寺の僧行教天皇の勅命を受け、九州宇佐八幡宮に趣き、八幡宮の御分神を奉戴して、京都男山(今の石清水八幡官)に皈る途中、当地が清地であり又、神功皇后ゆかりの地であることから、ここに仮泊し、御分神を奉祀したと伝えられる。
又、古来武将の崇敬も篤く文禄元年豊臣秀吉、朝鮮の役に出陣の際、松の木を八本手植し戦勝を祈願したと云う(落雷の為、大正六年県知事認可の上、処分、拝殿正面の奉納額、松皮はその一部である)。
昔はこの附近数ヶ村の総氏神として、地方人の崇敬篤かった。響灘に浮かぶ六連島も古くはこの神社の 氏子であったが海上遠い為、明和四年二月、この神社より御 分神を勧請して六連島八幡宮を建立した。
伝説 :
往時この宮山附近一帯は入海にして天然の良港であった。神功皇后、三韓の役の際ここで最初の軍船を揃え、船出された、その時軍船に仕立てた数百流の旗 (幡)が、一夜にして生れ、生え出たように見えたので「幡生」の地名が出来たと伝わる。
境内の案内板より
拝殿の右側に授与所がありましたが、普段は無人のようでした。石段の上のエリアは横に長くなっていて、社殿の右側の先の方が宮司宅(社務所?)のようでした。社務所や授与所を探しながら、境内社を順に参拝していたら、丁度、神社関係の方らしき人が通り掛ったので御朱印をお願いすると、右側の先の建物に連れて行ってくれました。












Y字路の角の道沿いに一の鳥居がありました。「八幡宮」と彫られた扁額に新しい畳表みたいな緑色の注連縄を締めてました。笠木の部分には、多くの石が、それもかなり大きなものも乗っかってました。
そんなに長くは無いけど石段を登った所に二の鳥居と狛犬、吽型は角あり、阿型は何となく笑っているようにも見えました。拝殿前にももう一対の狛犬。こちらは少し大きめ(と言っても普通サイズ)で阿吽共に空を見上げている感じでした。
拝殿前には色や大きさ太さの違う鈴や鈴緒が5組ありました。それぞれに何か御利益の違いがあるのかどうかは分かりませんでした。拝殿の外側には扁額はありませんでした。扉が少し開いていたので中を覗いてみると中に金文字で「生野神社」とかかれた扁額が掲げられていました。
正一位白瀧稲荷神社








生野神社の拝殿の左側側に「正一位白瀧稲荷神社」と書かれた扁額を掲げた赤鳥居が立っていて、そこから奥の方に参道が続いていました。山の中を通りますが、参道自体は舗装されていました。沢山の赤鳥居をくぐって行き、途中には、名前も分からない小さな石の祠が沢山並んでいました。
外屋の中の台の上に赤い小さなお社がのって、御祭神・宇迦之御魂神を祀っていました。
人丸神社








石鳥居の額束の部分に、擦り切れて殆ど見えないけどかすかに「八幡宮」と彫られているのが分かりました。
石鳥居の後ろに小さ目の狛犬が1対。お社前には両方、阿形のようで、向き合わずに前を向いている狛犬がいました。
拝殿は普通のお社でしたが、後ろの本殿は、稲荷神社以外では珍しく真っ赤な社殿でした。まだ新しいようで鮮やかな赤でした。
人丸神社は、柿本人麻呂を祀っているようです。語呂で「ひとまろ」から「火とまる」で防火の神、「人産まる」で安産の神として御利益があるそうです。
宮山古墳





幸せふくろうと勾玉像の間から奥の方に行く道がありました。古墳までの距離等が書かれていなかったのですが、5分も掛からない位近かったです。木の根っこに覆われた古墳石室口・覆石や石室の入り口があり、木の柵で塞がれていました。勾玉の像の元になった勾玉もここの古墳から出土したものだそうです。
境内 その他






子守り石は人丸神社の右側にあり、外の石が大人、中の石が子供に当たり、大人が子供を守っているという家内安全守護のストーンサークルです。
水戸権現社は人丸神社の本殿の右側にありました。水戸東照宮と言う事で、徳川家康公と徳川頼房公(水戸藩祖)が祀られたました。この地と水戸の関係は分かりませんでした。
授与所の右側、幸せのふくろう 夜でもよく見える事で、世の中が広く見渡せる、色々な事がよく見える事から商売繁盛。360度首が回るので金回りが良い金運上昇などの御利益があるそうです。
勾玉像 明治42年に境内の宮山古墳より出土した勾玉を神社のシンボルとして碑を建立したものだそうです。
Φ ポケストップがあります・・・・ 勾玉像
Å ポケモン・ジムがあります・・・ 皇威震八紘、 狛犬阿型
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