
山口県下関市彦島海士郷町に建っている「彦島恵美須神社(ひこしまえびすじんじゃ)」です。JR下関駅から徒歩約43分。海士郷バス停からだと2分位です(googleマップ経路情報より) 下関駅前から海士郷バス停まで、バスで20分位です。
山口県道251号線の狭い歩道部分に「恵美須神社」と書かれた扁額を掲げた石鳥居が立っていて、石鳥居の直ぐ後ろに玉垣に囲まれた社殿がたっていました。社殿の前や周りもギリギリ通れる位の広さしかなく、ちょっと窮屈な感じですが、道路沿いで住宅に囲まれた限られたスペースでコンパクトに配置されていました。「エビス」も「恵比寿」「夷」「蛭子」等、色々な字がありますが、こちらは「恵美須」の字でした。
石鳥居と社殿の間は石鳥居がある位で狛犬等もいませんでした。社殿の扉は空いていましたが、外側にも内側にも扁額も見当たりませんでした。拝殿の中もお賽銭箱がある位で、シンプルな感じでした。拝殿の後ろ側の扉も開いていたので、本殿の扉が見えてました。
本殿を拝見しようと裏に回ってみると、何故か、拝殿の裏に、後ろ向き外側を向いた小さな狛犬さんが鎮座してました。案内板等で説明は無かったので、何の根拠もない私の勝手な推測ですが、小さくと持ち運びも出来そうなので、狭い境内で、置く場所に困って、拝殿の後ろのスペースに置いたのかな? と(^_^;) マサカネ
下関市の神社仏閣巡りの1社目だったので、この時はまだ気が付いていませんでしたが、下関の神社の傾向として、狛犬が小さい、やせ型が多い、拝殿の外側に扁額を掲げてない所が多かったかなと思いました。
昔室町時代(1338~1573年頃)には海士郷は天川と呼ばれ、長門国志の著者、中村徳美は859年の条に
「長門国医師従八位下、海部男種麿(あまべおたねまろ)と見ゆこの氏人の祖比国の海人部に定められて此所に住せられし故に地名にまりけん」
と書いてあります。そうした伝統もあってか、保元の頃 (1156年) 河野通次が彦島に根拠地を求め水軍にかかわりのあった人々が、この地を中心に漁業に従事するするようになり、現在の海士郷を形成したものと考えられます。
1858年の記録には海士郷浦と明記されてあるが、漁業権に関する約定証書には天ノ浦と見られる。 1775年の記録に、
「然処、往古平家落着此方島廻七浦分往古より諸漁仕来候。」というのがある。
恵美須神社について神紋から探すと茨城県の鹿島神社と 福岡県の箱崎宮のどちらかから神玉を奉納されたと思われます。 時期については1864年3月吉日に寄付奉納がみられるが、 それ以前の唐獅子が有る事から、江戸時代初期かその前の時代に 恵美須神社が出来たものと推測します。 定かではありません。
境内の案内板より
御朱印は、此処から南西方向に徒歩で約37分位の所にある彦島八幡宮で頂けます。








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