
島根県松江市外中原町に建っている「歓喜山 月照寺(げっしょうじ)」です。JR松江駅から徒歩約39分。一畑電車・松江しんじ湖温泉駅からだと12分位です。東林寺からだと1分位です(googleマップ経路情報より) 浄土宗のお寺です。
東林寺の入り口と月照寺の入り口は隣同士で、10秒もあれば移動できますが、入口から月照寺の書院が有る場所までは、数分かかります。山門前を右に曲がって少し行った先が書院で、拝観料の受付になっていました。書院の入り口は開いていて、入ってすぐの場所が受付になっていて、此処で拝観料を払って、境内や代々の墓所を参拝して回ると最後に書院に戻って来るので、書院の中に上がって書院の中を拝観するような手順になっていました。本堂が何処なのか?分からなかったのですが、書院内の拝観中に安置されていた阿弥陀如来像が御本尊のようで、本堂は書院と繋がっているようです。書院の左側にある小さな建物の部分が本堂になるようです。
拝観客も居るし、受付の方が書院の外側に向いて座っておられるので、中々、書院の写真
を撮るタイミングを掴めないまま、結局、撮り損ねました。本堂も分からないままでしたが、撮り損ねました(^_^;)
月照寺は、もと禅林のお寺で、洞雲寺と称したが、松平直政公(徳川家康公の孫)が生母月照院の霊牌を安置するため、寛文四 (一六六四)年、浄土宗の長誉上人を開基として、蒙光山月照寺と改称復興したものである。第二代綱隆公は父直政公の遺命により廟所を営み、山号を歓喜山と改めた。以来、松江藩主松平家の菩提所ならびに念仏道場として、江戸時代二〇〇年間、松江城下寺院の筆頭の格式を誇り尊崇をうけてきた。
一万坪に及ぶ霊域には、九代にわたる藩主の廟が整然と鎮座し、その廟門には、それぞれの時代の特色がみられ、匠の精魂を傾けだ跡が遺憾なく示現されている。
また境内には、歴代の藩主ならびに奥方の奉献による刀剣、染織、絵画、仏具などを展示した宝物殿も公開されている。
入り口付近の案内板より
書院入ってすぐの所に、拝観料を払う受付が有りました。御朱印もその受付で頂くことができました。
境内






本来、入り口になる山門は通れず、山門前を右に曲がった先の書院が入り口になっていました。書院で拝観料を払って左側から順路の案内がありました。境内は大変広く、松平家の初代から九代までの藩主の墓所が鎮座していました。一番南の離れた場所に初代の直政公墓所、その近くに七代治郷公墓所があって、その他は北側に密集する感じに配置されていました。
書院・庭園




書院の中に入らせて頂き、左側先の方に、御本尊の阿弥陀如来像が鎮座されていました。この場所が本堂になるようです。書院と本堂は建物内で繋がっているようです。参拝時には気が付かなかったのですが、書院の入り口の少し左側に本堂の入り口があったようです。
書院の裏側の方には、綺麗な砂紋、石に池に緑。落ち着いた綺麗な庭園がありました。
初代直政公墓所






墓所の構成は、他の代の墓所と同じですが、廟門は横の塀も含めて、他の墓所より立派で、廟門から墓石までの間も、他に比べて広く、途中に池と言うのか堀と言うか、水場が有り、残念ながら時期的に花はパラパラでしたが、ハスの池になっていました。
六代宗衍公墓所






代々の墓所は、山門のような廟門、石の鳥居、玉垣に囲まれた中に墓石が置かれているような同じような構成で造られてます。墓石は殆ど区別できない位の同じ形ですが、廟門は、屋根の形や彫刻、装飾など、各代の墓所ごとに特徴がありました。
六代宗衍公墓所には「大亀の寿蔵碑」と言われる大亀の甲羅の上に石碑が立っている石像がありました。亀の頭を撫でると長生きできるという言い伝えがあるそうです。
Φ ポケストップがあります・・・・ 月照寺 本堂、茶碗
Å ポケモン・ジムがあります・・・御霊屋、 五代 宣維公、九代 斉斎公、 八代 綱隆公
東林寺 ⇐ (前) :: (次) ⇒ 清光院
