
島根県松江市殿町に建っている「松江城山稲荷神社(じょうざんいなりじんじゃ)」です。JR松江駅から徒歩約35分。国宝松江城大手前バス停からだと9分位。松江護國神社からだと4分位です(googleマップ経路情報より)
松江護國神社から北西の方に歩いて行くと、右側に赤い鳥居が見えて来ます。道と平行に立っていますが、赤い鳥居なのですぐ分かると思います。道から右に曲がって赤鳥居や石鳥居をくぐり、2つ目の赤鳥居をくぐった先を左に曲がって、長い参道、石段が続いてました。参道沿いには、沢山の狛犬、狛狐が並んで出迎えてくれてました。ただ、長い年月で、かなり傷んだ感じが痛々しいです。
石段を上がった先に随身門が建っていました。随身門前の狛狐は比較的新しそうでした。穏やかな顔でほほ笑んでいるようでした。
随身門の先に社殿が立っていました。元々は若宮八幡宮と言う神社だったようで、若宮八幡と稲荷神社が併記された扁額が掲げられていました。その左側には、たぶん「若宮八幡」右側には「稲荷神社」の扁額(合祀前の扁額かな?)があり、3つの扁額が並んでいました。
社殿は、木の色を基調にしたごげ茶色、屋根は色褪せてるのか青っぽくないけど、銅板葺き(かな?)の落ち着いた建物でした。松平直政公は徳川家康公の孫にあたるようで、拝殿前の幕には三つ葉葵の御門が表されていました。
御由緒書きにもありましたが、元々は若宮八幡宮が有った所に、松平直政公が信州松本城の稲荷大明神を合祀したようです。
山紫水明の古き良き城下町松江は、慶長16年(1611年) 武将堀尾吉晴公の 築城とともに誕生しました。
堀尾公が亀田山に築城の際、この地にあった若宮八幡宮を守護神として祀り、次いで松平氏の世になり、初代直政公が来封されると、藩内の平穏を願って、稲荷神社を創建され、若宮八幡宮を合祀して 「御城内稲荷八幡両社」と称し、社領を寄進し祭祀、造営など、すべて、藩費をもって格別鄭重におまつりされてまいりました。かの10年目毎に行われます当社式年神幸「ホーランエンヤ」 が 日本三大船神事の一つといわれる大盛儀でありますのも、御神徳を 物語るものであります。
当社本殿の彫刻をはじめ、数多い宝物はすべて旧藩時代の貴重な文化財であり、中でも松平直政公初陣の甲冑、松平宗衍公の大字筆額、松平不昧公筆額、巻物、名工小林如泥作の神狐などは特に有名であります。
又、文豪小泉八雲 (ラフカディオ・ヘルン)は、堀ひとつ隔てた所に住んで いましたので、よく当社に参拝し、今も境内に残る石狐を、珍しがって鑑賞したといいます。彼の著書には当社の伝説などが諸所に書かれており、興味をひかれた神札は、大英博物館へ送ったりしています。
境内の案内板より
社殿、随身門より一段下のエリア、石段の途中、右側に社務所がありました。貼り紙が有りますので、お訪ねする時間帯にはお気を付けて下さい












境内社












社殿の右側に、2つの祠が並んでたっていました。左側が金刀比羅神社、右側が推恵神社・熊野神社・稲荷神社との扁額が掲げられていました。稲荷神社だけでなく金刀比羅神社の方にも沢山の陶器の小さな御狐様が供えられていました。
社殿の右側奥の方にある荒神社跡。御神木が枯渇し倒木の恐れが有る為、荒神様は御本殿に遷座し、御神木は伐採したそうです。荒神様は此処には居ないとの案内がありました。
社殿の左奥辺りに、もう1社の境内社がありました。こちらも半端ないくらいの御狐様、狛狐も2対鎮座してましたが、神社名が分かるものがありませんでした。
社殿を一周する道沿いにも、沢山の石の狐、横に並んだ狛狐?、お供え用の陶器?の御狐様等々、御狐様で一杯でした。
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