広島県広島市東区二葉の里にある「饒津(にぎつ)神社」です。 「七福神巡りの7つ目の目的地です。 JR広島駅から10分ちょっと、明星院からなら2、3分位です。
御祭神としては浅野長政光公を始め歴代の浅野家の藩主をお祀りしている神社で標繩柱 、燈籠、提灯などに浅野家の家紋「丸に違い鷹の羽」が見られます。
また、標繩柱 や鳥居、狛犬等が大きく立派なのが特徴でした。
「恵比須天」は参道を進んで向唐門の手前辺りの左側の奥の方におられました。
宝永3年(1706)6代目の綱長公が初代の長政公の位牌堂を建立したのが始まりで、
「饒」ーじょう・富・食物やものが十分である。土地が肥えている。
「津」-港・船着場・川辺・海辺。
の意味があり「廣島の町が物が豊かな水の都となるように」との祈りが込められているそうです。 公式ホームページより
標繩柱 (注連柱)
明治43年(1910)に奉納されたもので、高さ670㎝、幅83㎝と大きな石柱で出来てました。
境内の案内板より
神社の入口にある浅野家の家紋(丸に違い鷹の羽)が彫られた標繩柱(しめなわばしら)で大きく威圧感がありました。
二の鳥居と狛犬
二の鳥居と狛犬です。 宮島の厳島神社の大鳥居と同じような形で鳥居の柱を支える稚児柱があり、その笠木の上に屋根がある両部鳥居でした。
二の鳥居自体も大きく迫力ありましたが、 狛犬も良く見る狛犬の倍以上もありそうな大きく立派な狛犬でした。
恵比須天
七福神の一人「恵比須天」像です。『釣り上げし 魚を宝と 抱きしめて 笑う恵比須の 神の御威徳』
元々は漁業の神さまですが商売繁盛の神様としても広く信仰されています。
不景気の時はそれを吹き飛ばし、好況の時はそれを維持発展させ、私たちに福徳円満をくまなく与えて下さります。
境内の案内板より
拝殿
桁行5間、梁間3間、入母屋造、平入、向拝1間、背面に幣殿を接続、銅板葺で昭和59年再建されたそうです。
公式ホームページより
境内が川の曲線に沿って作られている為か、参道から石段上がった正面では無く、60度位右に曲がった先に拝殿が位置しています。
本殿
神社の一番奥、立派な石段と透塀 に囲まれた本殿です。
三間社入母屋造、向拝唐破風付銅板葺で、昭和59年に再建されました。
公式ホームページより
一段高い場所にある上、透塀とは言え中は殆ど見えず、辛うじて屋根の一部が見えるくらいでした。
向唐門(むかいからもん)
昭和20年原爆で焼失した旧向唐門の礎石の上に再建。龍の彫刻等細部を忠実に復元した(礎石は原爆当時のまま残した)
向唐門は格式上、将軍や藩主を祀る神社に用いられた。
境内の案内板より
扁額に「徳川宗敬」の名前が有りました。将軍だったかなと思いましたが、徳川家の血を引く明治の貴族のようです。
Φ ポケストップがあります・・・・ 北清事變忠死者紀念之碑 、標繩柱銘井序、鳥居、恵比須天
Å ポケモン・ジムがあります・・・饒津神社鳥居、向唐門