松陰神社(山口県萩市椿東)

 山口県萩市椿東に建っている「松陰神社(しょういんじんじゃ)」です。JR東萩駅から徒歩約18分。龍蔵寺からだと36分位です(googleマップ経路情報より)  
 
 松陰神社自体よりも松下村塾があると言う観光地で有名かもしれません。
 名前の通り、幕末近くに明治維新に繋がる多くの志士を育てた思想家・教育者の吉田松陰をお祀りしている神社です。
 実家の杉家から吉田家に養子入りして本名は「吉田寅之助(後に改名して大次郎)」だそうです。「松陰」というのは、氏名では無く、号と言われる別称、二つ名みたいなもので、ペンネームみたいなもののようです(ガンダムのシャアで言う「赤い彗星」みたいな感じかな)
 神社となってますが、境内は広く、社殿以外にも、門前商店街、吉田松陰幽囚ノ旧宅等の古い建物、歴史館、宝物館等、見る所が多いです。参道以外にも、吉田松陰が遺した言葉を記 した25基の句碑を見ながら歩く「学びの道」などの散策路もありました。


 境内の一番東側に松陰神社、松門神社の社殿があり、その手前右側に授与所がありました。


境内

 非常に広い境内で、一の鳥居辺りから二の鳥居の間には、門前の商店街、歴史館や宝物館、松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅等、多くの建物がたっていました。

 松下村塾の建物がそのまま残っていました。建物自体はこじんまりした感じで、此処で数十名もの門下生に講義していたのかと思うとかなり窮屈だったような気がしました。現在の建物は、門下生が増えた為、増築して広くしたものだそうですが、それでも手狭感はありました。中には入れませんが、外から見るだけで全貌が分かりました。
 講義室の教壇には、吉田松陰の石膏(かな?)像と肖像画の掛け軸が飾られ、今も講義されているような感じでした(萩では「松陰先生」と呼ばないと怒られそうです(^_^;) )

 境内の玉垣や松陰神社の垂れ幕等に「卍」を45°斜めにした図柄が沢山ありました。右回りと左回りの違いはあるものの、某悪い印象のシンボルマークと左右対称、上下対称の図柄で悪いものを連想させますが、「卍」にも、悪い印象のシンボルマークにも関係は無く、吉田家の家紋だそうです。


松陰神社

松陰神社御由緒

 門前商店街のある入り口の石鳥居が一の鳥居で、社殿前の鳥居が二の鳥居になるようです。
 一の鳥居は「松陰神社」と彫られた扁額を掲げていました。一の鳥居の右前辺りに社号標の石碑が立っていました。「松陰神社」と彫られてますが、吉田松陰先生の自筆文字から切り出されたそうで、独特な形をしていました。
 二の鳥居は、木製で「松陰神社」と書かれた銅板かな?の扁額を掲げていました。

 元々の社殿は、萩城内にあった宮崎八幡宮の拝殿を移築したものだったそうですが、昭和になって新築され、その後屋根を銅板葺きに変えるなどして現在に至るそうです。
 拝殿の扉は開かれていたので、中を覗くと、ちょっと薄暗い感じですが、横にも縦にも広く拡がっていました。
 よく見ないと小さな円に見えるものも多いですが、二の鳥居前の玉垣の部分や手水舎、拝殿前のお賽銭箱や垂れ幕、拝殿内の垂れ幕等々、吉田家の家紋だらけでした。


松門神社

松門神社

 松陰神社の社殿が新しくなる際に、旧社殿を新社殿の左側に移築して、門下生を御祭神として祀った神社だそうです。松陰神社の境内社・摂社になるようです。
 境内社なので、松陰神社よりはこじんまりしてますが、鳥居や狛犬、石灯篭等もあり、1つの神社としても立派に成り立ちそうです。松陰神社から門下生の霊を移して創建されたようですが、拝殿前の注連縄の後ろには「松陰塾」と書かれ、吉田家の「卍を45°傾けた」家紋が描かれてました。やっぱり、松陰先生への尊敬の念が止まらないようです(^_^)

 境内の左側に「萩の変七烈士殉難之地」の石碑が立っていました。門下生の秀才・前原一誠が新政府の方針と対立した後、萩の地で挙兵するも敗退、幹部の6名と共に萩市の刑場で斬刑になったそうです。
 当初は刑場の恵美須町にあったそうですが、平成18年に現在の地に移されたそうです。


Φ ポケストップがあります・・・・ 萩観光マップオブジェ、萩地域案内板
Å ポケモン・ジムがあります・・・萩/吉田松陰資料館 石碑

  

  龍蔵寺 ⇐ (前)   ::   (次) ⇒ 人丸神社

/* クリッカブル用コード */