
山口県萩市椿東中津江に建っている「白牛山 龍蔵寺(りゅうぞうじ)」です。JR萩駅から徒歩約38分。JR東萩駅からだと41分位です。金谷神社からだと33分位です(googleマップ経路情報より) 臨済宗のお寺です。
金谷神社から、直線距離だと1.5kmも無いくらいですが、川を2つ渡って行く為、橋の位置の問題で、道なりに行くとかなり遠くなります。橋本川と松本川に分離する前の阿武川の少し上流に行った場所に立っていました。
山門の正面の門、左右の脇門もすべて開いていて開放的でした。 山門の扁額、正直「山」しか読めません^^;が、恐らく山号の「白牛山」だと思います。
山門入って真っすぐ行った所が観音堂でした。お堂前には2体の石像が立っていました。金剛力士にしては穏やかなお顔で全体的に飾り気が無くシンプルですが、右側は口を開け左手をグーで上げてました。左側は口を閉め右手をパーで上げてました。阿吽の対になってるので、やっぱり金剛力士像なのかもしれません。
扁額に観音堂の御縁起が書かれていましたが、これも読めませんでした(^_^;) が、石像の横に読みやすい案内がありました。
萩で最も古い建物だそうです。
白牛山龍蔵寺は、寺伝によると天平年間(729~748) に行基を開山として創建されたといわれている。 応安年間(1368~74) 山口の香積寺に往山中の石屏子介禅師がその退廃を嘆き、寺家を再興して臨済宗に改め、鎌倉の建長寺に属した。
この堂の建造年代は中世ごろと推定されており、形式は木造平屋建宝形造本瓦葺、桁行・梁間とも 6.46mで、全体が素木造の丸柱である。正面入口には、建物に比べて大きめの唐破風をつけた向拝を作っているので、入口は雄大な感じを与えている。
明治年間の修理の際に造られたと思われる板囲いがしてあり、現在は覆い堂の形式を持っているといえる。 萩に現存する最古の建物で、構造的にも優秀なものである。
観音堂横の案内板より
観音堂の右後ろに本堂がありました。観音堂よりも大きな立派な建物ですが、本堂前に大きな木が2本立っているくらいで、お賽銭箱や扁額等も見当たらないシンプルな建物でした。
本堂の向かい側、観音堂の右側に白牛舎がありました。龍蔵寺の山号「白牛山」の命名の由来となった白牛を飼っていた場所で、長門の国で生まれた白牛は龍蔵寺に寄進され、白牛舎で飼われていたそうです。
龍蔵寺の御縁起等の説明は無かったのですが、白牛舎の説明がお寺の御縁起のようなので転載しました。
白牛舎に向かって右側には石段と1.5m位かな?の石垣が有りました。上には何も無かったのですが、形から見ると鐘楼が有ったとこかなと思いました。
東大寺創建のとき用材運搬に功のあった白牛が帰路斃 んだので飼主の国守家が中津江の神護山寺(白牛山龍蔵 寺の前の山号)の境内に埋葬し白牛の菩提のため一字を 建立し祀ったことが聖武天皇に聞こえ白牛の死を惜しま れて寺に「白牛山龍蔵寺』の榜額を賜わり続いて平城天 皇の御世に高僧行基の作れる聖観音菩薩が安置され堂字 が整備され立派な伽藍が建立された。
その後長門の国では白牛が生まれると寺に寄進される ようになった。白牛を飼っていた小屋がこの「白牛舎」 である。
明治二十九年二月に美禰郡嘉万村(現在の秋芳町)、安藤喜七氏が寄進されたのが最後である。
先住第二十六世三谷研山和尚が雌雄二頭の萩焼の白牛 像を作らせ雄の白牛はこの寺と縁がある東大寺に昭和四 十一年、昭和の大修理の時に寄進された。
雌の台牛は昭和六十二年十一月白牛舎の大修理の時に 安置された。
舎内にある「霊柩駕籠』は土葬のため霊柩を墓地まで運んだ駕籠で昭和の初期まで使用されていた。
又寺の門を入ると右手に代々寄進された白牛を供養するために建てられた白牛塚がある。
白牛舎の案内板より
玄関前に書置きの御朱印が置かれているとの情報があったのですが、境内中探したけど見つかりませんでした。一般的なお寺と違って境内に社務所・庫裏が無く、恐らく山門前右側の家がご住職のお宅とは思ったのですが、お寺を示す表示等が何も無かったので、今回は諦めました。


















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