
山口県下関市中之町に建っている「関亀山 引接寺(いんじょうじ)」です。JR下関駅から徒歩約37分。末廣稲荷神社からだと7分位です(googleマップ経路情報より) 浄土宗のお寺です。
珍しくgoogleマップナビの通りで問題なく行けました。場所的にも道路と平行した感じに立っていて南側から行けばお寺が丸見えだし、北側からだと長い白壁の塀が坂になっているので、何かあると気付くと思います。
石段を登ると大きくて立派な三門がたっていました。1769年に再建されたもので戦禍を受けた引接寺の中でも戦禍を逃れたそうで、当初の構造形式を残しているそうです。門前の案内板によると「三門は四脚門の形式であり、屋根を本瓦葺きとし、両側に脇門を設け、柱を総円柱とする。門の内部を二手先の組物を使い、鏡天井とする稀な例」 との事です。
かなり薄れて読み難いですが、恐らく「関亀山」と書かれた扁額を掲げ、天井部分には、左甚五郎の作と言われている大きな龍の彫刻があったのですが、写真は撮り忘れました(^_^;)
三門の先、正面には本堂、その右側には「紫雲殿」と書かれた扁額を掲げた紫雲殿が立っていました。扁額は長方形では無く、石かな?を輪切りにした味のある形をしていました。見える範囲には、その他に建物が見えず、社務所や庫裏を探した所、本堂と紫雲殿の間の壁に開いた穴の奥に何か見えたので、トンネルの奥に行ってみたら、そこが庫裏だったようです。
後で知りましたが、日清戦争の際の下関講和条約の時の清国側の使者の宿泊場所で、暗殺未遂事件が起きた場所の近くでもあるそうでした。下関で講和条約が結ばれたのは覚えてましたが、その時に暗殺未遂事件があったのは覚えて無かったです。(教科書に載ってましたっけ(^^;)?
引接寺は浄土宗寺院。 当初は豊前国黒田村 (福岡県京都郡みやこ町勝山黒田) にあったと伝 わるが、詳細は不明。 永禄3年 (1560)、この地の亀山八幡宮の麓に建立され、山号を関亀山と号す。 慶長3年(1598) 小早川隆景の菩提を弔うため、藤堂佐渡守高虎が現在地に広大な堂宇を建立し引接寺を移した。 以後、赤間関の有力町人や長府藩の庇護を受けるとともに、萩藩によって朝鮮通信使の客館としても整備されるなど、寺勢は隆盛を極めた。また、明治28 年 (1895) 春には日清講和会議のために来日した李鴻章一行の宿舎となり、李鴻章狙撃事件とも相まって、寺名は国際的にも名高い。昭和20年(1945) 6月29日、引接寺の堂宇の大半は戦禍により焼失したが、三門はこれを免れ、往時の様子を伝えている。
この三門は、明和6年(1769)8月に長府藩九代藩主毛利匡満が再建したものである。また、花崗岩四半敷の基壇は、慶長期の建立時のものと推定されることから、当初の構造形式を踏襲して再建したものと考えられている。
三門は四脚門の形式であり、屋根を本瓦葺きとし、両側に脇門を設け、柱を総円柱とする。門の内部を二手先の組物を使い、鏡天井とする稀な例であり、また、龍の彫物は意匠的に優れている。
門前の案内板より
最初は分からなかったのですが、本堂と右側の紫雲殿の間の壁に桃みたいな形の小さなトンネル穴が開いていて、その先に建物が見えたので行ってみました。壁の裏側が庫裏になっていたようでしたが、ご住職が外出中と言う事で、御朱印は頂けませんでした(;_;)








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