
山口県下関市赤間町に建っている「末廣稲荷神社(すえひろいなりじんじゃ)」です。JR下関駅から徒歩約38分。亀山八幡宮からだと8分位です(googleマップ経路情報より)
亀山八幡宮から行った場合、googleマップナビだと、北西側の方に案内されます。この場所から行けるかどうかは不明ですが、表参道の入り口は南西辺りの歩道側にあります。ナビで案内される道の途中に赤鳥居があるので、気が付けると思います。
亀山八幡宮から北に向かう道沿いに赤鳥居が1つたっていました。(ナビは赤間関裏町・弁天座跡碑をターゲットにすると分かりやすいです)
赤鳥居をくぐって駐車場の中をジグザグに通って行くと石段と沢山並んだ赤鳥居が見えて来ます。そんなに長くは無いですが、お稲荷さんらしく多くの赤鳥居をくぐりながら、此処でも石段を登って行きます。小高い場所ですが、後ろに大きなホテルがあって少し圧迫されている感じがしました。
お社が立ってるエリアも建物ギリギリ位の広さしかありませんでした。
お社はまだ新しい感じで赤白の綺麗な建物でした。大きくはありませんが、注連縄や垂れ幕などで飾られこじんまりと纏まってました。
手前の狛狐、特に目が細くつり目の鋭い視線を送っていました。阿形の方は、何か咥えているのか?牙を剥いてるのか?良く分からない感じでした。吽型の方は巻物を咥えてました。
狛犬と狛狐は、同じような場所に鎮座してますが、役目は大きく違っていて、狛犬は神社の守護や魔除けの役目、狛狐は参拝者の願いを神様に伝えたり、神様の御神徳を参拝者に伝えたりの神使の役割だそうです。今まで、稲荷神社と言うと、「何できつねが神様何だろう?」と思ってましたが、こちらの神社では、「倉稲魂神」と表記されてましたが、一般的には「宇迦之御魂神」とされる事が多いと思いますが、同じ女神様で、きつねは神使と言う事らしいです。納得(^_^)
末廣稲荷神社
稲荷大明神。当社開基は人皇第五十一代平城天皇御宇
大同四年巳丑九月七日鎮座
棟札
奉造立稲荷社一間四面一宇
右恙起者奉爲金輪聖王天長地久御願成就殊当
將軍御息安穩国土靜謐、当社大宮司子孫繁昌寿命長久(以下解読不明)
大同四年巳丑九月吉祥日
右の古文書が伝えている通り当社は平安時代初期の大同四年(西暦八〇九年) に祀られた下関最古の稲荷神社で古耒商家の崇敬篤く赤間関の繁栄の 守護神として信仰されてきました。杜の麓はもと稲荷町と言って日本の廓の発祥地とも言われております。数々の妓楼、名岐の名と共に稲荷町の名は全国に鳴り響いたものです。井原西鶴、十返舎一九、賴山陽など古くから文人墨客が 訪れ幕末の志士、高杉晋作、伊藤博文、山縣有明、井上馨の夫人は当地の出身であり全国からの参拝者も多くありました。
往時は背後に稲荷山を控え境内には未広さんの桜と称して大きな桜並木があり信仰と憩いの場所でした。昭和二十年の空襲によりすべてを焼失し稲荷町の面影はきえておわりました。其の後昭和二十八年に復興されましたが、近年社殿の打損がはげしくこの度たくさんの人々の奉賛によりまして 昭和六十一年十二月二十日に新社殿が朱も鮮やかに造営されました。
境内の案内板より
★難しい字が多いです。旧字体らしく出ない字も多数ありました
・聖の口の部分がヌに見えます
・右の古文書が上側の文章のようです(案内板は縦書きなので)
・耒の一番上の横棒が真っすぐに見えます(多分、前の字と続けて古来かな?)
間違いがあったらごめんなさい
お社の扉を開けた所に書置きの御朱印が置かれていました。今回はお社の扉が少し開いてましたが、もし閉じていても、左側に少し開けられるとの貼り紙がありました。また、もし、御朱印が無くなっていたら、亀山八幡宮に連絡すれば頂けるとの貼り紙もありました。








Φ ポケストップがあります・・・・ 末廣稲荷神社の鳥居群
Å ポケモン・ジムがあります・・・
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