
山口県下関市彦島福浦町に建っている「福浦金刀比羅宮(ふくうらことひらぐう)」です。福浦本町バス停から徒歩約3分。竹ノ子島金刀比羅宮・天満宮からだと68分位です(googleマップ経路情報より)
竹ノ子島金刀比羅宮・天満宮参拝後、一度、彦島八幡宮に寄って御朱印帳を受け取ってから福浦金刀比羅宮に向かいました。竹ノ子島から福浦金刀比羅宮までの線上に彦島八幡宮があるので、遠回りすることもありませんでした。
海沿いの道で彦島福浦湾頭兜山を反時計回りに回って、先端を過ぎた辺りで左側に石鳥居と赤鳥居が見えて来ました。マップ上だと入口が分かり難いですが、福浦稲荷神社を目指すと分かりやすいです。
石鳥居は「金刀比羅社」と刻まれた扁額を掲げて長い急で長い石段の参道の入り口になっていました。(刀と比の字が変に重なって「忍」の字に見えます(^^;)」 最初は何段あるか?数えてやろうと思うのですが、途中から別の事に気を取られ忘れてしまうのが常です(^_^;) 登り口に「何段あるか数えてみてね」との貼り紙があり、公式に何段あるかは不明ですが、数えていると「こんぴらきつね」が現れて間違わすのだそうです。ネット上で数えた人の情報を見ると、こんぴらきつねの活躍で270段前後でばらけているようです(^_^;)
また、石段の右側にお賽銭箱が置かれていて「上には賽銭箱がありませんのでここに入れて下さい」とのメッセージがありました。またまた、勝手な推測ですが(^^;)、回収するのに上まで登って行くのが大変だから下に設置したのかな? と(^^;) 上の社殿まで3ルートありますが、いずれも、自動車等は駄目で自分の足で登るしか無いようです。
本当にしんどい(^^;)石段を登りきると、こちらも「金刀比羅社」の扁額を掲げた石鳥居と小さめの狛犬が出迎えてくれました。正面にはもう一対の狛犬と石灯篭がたっていて、その後ろに社殿がたっていました。小さ目な注連縄や木鼻の彫刻がある位で、余り飾り気が無く、色も焦げ茶系のみでシンプルな社殿でした。
裏に回ると本殿の右側の方にもう一つ背の低い石鳥居がありました。恐らく「金刀比羅宮」と彫られていると思うのですが、扁額の上半分が割れて無くなっていました。その石鳥居からは、少し緩やかな石段(裏参道かな?)が続てました。
社殿の左側の方には、恐らく福浦金比羅公園に繋がっている道があって、ちょっと天気が悪くて靄ってましたが、九州とかまで見渡せました。
福浦金刀比羅宮に向かう途中の彦島福浦湾頭兜山の西側に福浦金比羅公園入口との石碑から山の方に道が続いていました。確認はしていませんが、恐らく、そこから、公園を経由して福浦金刀比羅宮の拝殿から左に向かっていた道に繋がるのではと思います。
文政二年(一八一九年)旧藩主毛利元義公が、海防と福浦港の繁栄を図るため、郡代水野忠実に命じて長府忌宮神社境内に祭っていた金刀比羅宮を当彦島福浦湾頭兜山(富観台)に遷座したもので、文政三年(一八二〇年)に神殿・拝殿が完成し遷座祭を行った。その後文政十三年 (一八三〇年)には、鳥居・玉垣・狛犬・灯籠等がそろい、遷座十周年の式年大祭を挙行した。
北前船入港の折、海上安全を祈祷させ、これが評判となり参拝者や寄港する船がふえて福浦の港はたいへん繁盛した。
又、嘉永二年(一八四九年)に海防調査を命じられた吉田松陰もこの石段を登っており、南陔小田圭(長府毛利藩の儒学者)が残した碑文も歴史をきざんでいる。以来、福浦町民並びに崇敬者は数度にわたり社殿の改修に力を合わせ、その環境を護ってきた。今日では福浦を愛する心のよりどころとして金刀比羅神社は富観台に 鎮座している。
入り口・石鳥居横の案内板より
御朱印は、福浦金刀比羅宮からは、ほぼ北の方向に徒歩約37分位の所にある彦島八幡宮で頂けます。




















福浦稲荷神社(ふくうらいなりじんじゃ)





大きな石鳥居の左前に「福浦稲荷神社」と書かれた扁額を掲げた小さめの赤鳥居が立っていてその少し後ろに福浦金刀比羅宮の境内社の福浦稲荷神社の祠がありました。赤鳥居と道路の間には、玉垣が有る為、横から回って行かないといけません。屈まないと通れない大きさでした。
銅製か?青緑の屋根に赤い建物が石の段の上に乗った小さな祠でした。幟は立ってましたが、前面にはお皿がある位で飾りは少なめでした。色々なものを置くスペースがあるので、以前は色々と飾られていたのかもしれません。
Φ ポケストップがあります・・・・
Å ポケモン・ジムがあります・・・福浦金刀比羅宮、福浦金刀比羅宮・拝殿
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