山口県山口市上竪小路101に建っている「築山神社(つきやまじんじゃ)」です。JR上山口駅から徒歩約15分。JR山口駅からだと25分位。豊榮神社から築山神社の社殿までなら5分位です。(googleマップ経路情報より)
築山神社が八坂神社より後に移されて来たせいか、南側の参道入口の鳥居には、「八坂神社」「祇園社」と八坂神社の名前になっていて、八坂神社の境内を間借り?している感じかなと思いました。
多賀神社の境内(現在地では無い時)に建立された「宝現霊社」が始まりで龍福寺の境内、後河原(現在地の少し西側のエリア)、現在地と移動したそうです。その後、氷上山興隆寺内にあった東照宮が合祀されたりして、主神の大内義隆公の他に、大内家の祖先、殉死した忠臣、前関白尹房公、市川少輔(毛利家臣)、徳川家康公等々、多種多様な方々をお祀りしているそうです。
築山神社は、毛利輝元が大内義隆を祀るため慶長十年(一六〇五)に建立した「宝現霊社(ほうげんれいしゃ)」がはじめと伝えられている。
当初は上宇野令村(現山口市)の多賀神社境内にあり、その後、同村龍福寺境内、同村片岡を経て、明治三年(一八七○)に現在地へ移り、徳川家康等が合祀された。現在地は国史跡大内氏遺跡附凌雲寺跡のうち、築山跡である。
本殿は檜材の入母屋造で桁行三間、梁間二間、銅板葺、拝殿は主に松材が使われた入母屋造で、桁行三間、梁間二間、向拝一間、向唐破風造、銅板葺である。本殿・拝殿ともに、 寛保二年(一七四二)に山口市大内の興隆寺境内へ建立された東照宮の社殿を、明治三年に移築している。建立年代が明確であること、東照宮の造営を強く促した当時の幕府と長州藩との関係を示す歴史的価値があること、本殿については近世の神社本殿で入母屋造が県内で比較的少ないこと、本殿・拝殿ともに十八世紀中期の神社建築の特徴を備えていることから貴重である。
境内の案内板より
築山神社からは、東へ6分位の所にある今八幡宮の拝殿の右側の授与所で頂けます。
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