散歩道: 福山八幡宮 (広島県福山市北吉津町)

 広島県福山市北吉津町にある「福山八幡宮」です。JR福山駅から徒歩で約9分、三蔵稲荷神社から5分、備後護国神社から6分(googleマップの経路情報より)
 境内は広く中央に合祭殿、右側に東御宮、左に西御宮と大きな社殿が並んでいます。更にその周りには、聰敏 (そうびん) 神社・鍛冶(かじ)神社・松尾(まつお)神社等々、沢山の境内社が並んでいたので、全部回ると結構時間が掛かります。(本来は、時間を気にしないでゆっくり回るべきなんですけどね(^^;) ) 

福山八幡宮 御由緒

御祭神 : 應神天皇(おうじんてんのう)
      比賣大神(ひめおおかみ)  宗像三女神
      神功皇后(じんぐうこうごう)
御由緒 :
 当地方を「穴の海」と呼ばれていた頃、後に福山城地となった深津島山に2つの八幡宮が奉祀されていました。
 その後天文年中(1532-55)に杉原播磨守が社殿を新に造営、毛利輝元、福島正則等の為政者も信仰厚く報賽されていたと伝えられています。
 元和5年(1619)水野勝成公が備後国主として赴任されるや、新しい居城として福山城を造営される事となり、2つのお社は夫々延広小路、野上口へと遷されました。
 天和3年(1683)第4代藩主水野勝慶公の時、今の松廼尾山に改めて福山総鎮守のお社として本殿、幣殿、拝殿、随神門、鳥居、惣門など東西に同一規模、同一形式にて並び建てられ、一般に両社八幡とも呼ばれ、広く崇敬せられてきました。
  昭和44年(1969)両社の法人格を合併、社名も旧に復し福山八幡宮とし、神社本庁の別表神社として 新たに発足しました。

                                公式ホームページより

 合祭殿(中央殿)の右側にも人が常駐している授与所がありましたが、御朱印は入口横の社務所でという事でした。 合祭殿 から社務所までも結構な距離があるので、写真を撮りながら境内を一周して帰りに寄って御朱印を頂きました。( 15時30分位で残り目標3社、アセアセ (^^;) )

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     西御宮              東御宮

 東御宮は承保年中に宇佐八幡宮より、西御宮は永享年中に鶴岡八幡宮より勧請されたと伝えられ、穴の海と呼ばれた内海近く、現福山城地に、2つの宮が別々に奉祀されていた。
 東西に並立する社殿は、同一の様式、全くおなじ規模につくられ、両社のご本殿にそれぞれ八幡大神をお祀りする全国的にも大変珍しい形式の神社である。ならび立つ2つのご本殿を始め付属社殿は、全体の形と細部の意匠がともに優れ、建立年代が古い上、保存状態も極めて良く、創建当時の姿がほぼ完存するなど、江戸期を代表する非常に重要かつ貴重な文化財として注目されている。
                           福山八幡宮のパンフレットより
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 東御宮、西御宮にはそれぞれに参道、鳥居、石段、随身門が左右対称になるように設置されていました。

随神門

 切妻造りの八脚門で、前方1間分と後方1間分に別々に化粧屋根裏の棟を持つ東大寺や法隆寺にみられる古式の形式になる三棟造りである。        パンフレットより
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 門には4つの空間があり手前の左右2つに随身、社殿側の左右2つに狛犬が安置されていました。

赤鳥居

 両部鳥居と呼ばれる形式。日本で3番目に古い木造の鳥居で、全体に朱塗りが施されており社号額は近衛左大臣基煕によるものである。          パンフレットより
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 厳島神社や草戸稲荷神社の鳥居と同じ様式で本柱の横に補助輪みたいな補助柱が付いていて、鳥居の頭が屋根みたいになっていました。

Φ ポケストップがあります・・・・福山八幡宮 西御宮、福山八幡宮 東御宮、東参集殿、福山八幡宮会館、聰敏神社、鍛治神社、松尾神社
Å ポケモン・ジムがあります・・・福山八幡宮

  

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