広島県広島市中区にある「縮景園」です。路面電車・バスは縮景園前からすぐ、JR広島駅からでも、10分から15分くらいの所です。
大きな広場的なものは無く、大きな池の周辺を回りながら景観を楽しむ形です。桜や梅の花見、紅葉等、季節による楽しみ方もできます。
以下の説明文は縮景園内の案内板から転記、抜粋しています。
縮景園は初代広島藩主・浅野長晟(あさのながあきら)が広島城入城の翌年 元和6年(1620)から別邸の庭として築庭されたもので、作庭者は家老で茶人として知られる上田宗箇(うえだそうこ)です。これ以後、改修が重ねられ、7代藩主・浅野重晟(あさのしげあきら)が天明3年(1783)から同8年にかけて京都の庭師・清水七郎右衛門(しみずしちろうえもん)を招いて着手した大改修により現在に残る景観、地割になっています。庭園の特徴は、広大な池を中心に造形された池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の大名庭園です。
積翠巌(せきすいがん)
西側池中央部の島で南側に巨大な立石組を設けています。この石組は蓬莱式鶴石組(ほうらいしきつるいしぐみ)で、三尊石(さんぞんせき)でもあり、また枯滝式(かれたきしき)の石組とも言われ、園の基幹を成す石組みです。
積翠巌の積翠は積み重なった翠、マツのことで、巌は大岩の事です。
看花榻(かんかとう)
座席はロクロ式に作られ、回転するようになっていました。この場所で、藩主が対岸の東照宮に続く桃林の花や京橋川を行き交う川船を眺めていたといわれています。
昭和44年(1969)に復元されました。
清風館(せいふうかん)
清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋(すきや)造りで、屋根は柿葺き(こけらぶき)です。西側は優雅な書院造りの様式をそなえており、東側には花頭窓(かとうまど)を設け跨虹橋に臨臨んでいます。
跨虹橋(ここうきょう)
濯纓池(たくえいち)を中央で南北に結び、二分する形で地上と天上を結ぶ虹のように構築された縮景園を象徴する名橋です。長さ24.88m、幅1.99m、開口部2.54mの石橋(反橋・太鼓橋)です。
薬草園(やくそうえん)
寛文3年(1663)の記録に、園の東方に薬草園があり、救急に備えているとあります。藩主が薬草の自給自足を目的として栽培していたものです。
香菜圃(こうさいほ)
3区に分けて、宇治茶と藩内の有名品種の茶を植えている茶畑。昭和38年(1963)に種を蒔き、被爆前の姿に復元した。毎年八十八夜前後に新茶摘みが行われている。
迎暉峰(げいきほう)
園内最大の築山で富士山を縮景表現したとも言われています。この頂上から広島城下や広島湾、はるか宮島まで望むことができたといわれています。大名庭園には、このような山を築き、天守閣の役目をする場所となっていたようです。
悠々亭(ゆうゆうてい)
天明の大改修時に清水七郎右衛門(しみずしちろうえもん)の指示により、建て方も場所も変えてこの場所に移されたものです。
茅葺(かやぶき)屋根の四阿です。昭和44年(1969)に復元されました。
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Å ポケモン・ジムがあります・・・縮景園