この旅行記を書いてる途中で、googleマップのマイマップと言うのを知りましたので、移動経路図を作ってみました。少しは分かり易くなるかもです。(それにしても、知らない事が多くて恥ずかしいです(^^;)
昨日、コンビニに買い物に行く途中に、ホテルの直ぐ側から東尋坊方面に行くバスが出ている事が分かった。それも、丁度いい時間帯に便がある。当初は、三国から東尋坊まで徒歩で往復した後、三国港から三国周辺をぶらつく予定だったが、バスを使ったら、東尋坊より先の雄島や越前松島の方まで行けそうだったので、バスを利用することにした。次の問題は、最後に福井に戻る事も考え何処に荷物を置いておくか? 幸いバスは、三国駅や三国港駅にも止まってくれる。ホテル前のバス停からだと出る時は楽だが、福井に向かう時には不便、三国港駅にはコインロッカーが無い、等々と考えた末、やっぱり、三国駅を拠点にすることにした。
もう一つ問題は、当初の予定だとかなり余裕を持って15時半に三国駅に戻れると計算していたが、前日になって急に予定を変更したので所要時間の計算が出来ていない事。東尋坊ー三国駅間が約4kmなので、1時間あれば余裕で移動可能と考えて、14時時点での位置で、再度、考えることにした。 (かなりいい加減 (^^;) )
ホテルから三国駅まで歩いて行きコインロッカーに荷物を預ける。6つしかないが、使われていたロッカーは無かった。
8時半くらいのバスに乗って30分弱で梶浦(越前松島水族館の1つ先)のバス停に到着。(9:00)
バス停を降りると目の前が港。この時は気が付いて無かったが、後から写真で見ると越前松島の方も見えていた。港の端に神社があったので行ってみた。港より一段高い場所から港を見守るように海の直ぐ側に建てられていた。由来などの説明板等は無かったが、唯一分かるものとしては、「継体天皇御休息の跡」との石碑があった。何時の時代の人かと調べてみたら、古墳時代・500年前後の方らしい。金色の扁額と注連縄、竜の彫り物の目が本物っぽくて印象的だった。
一度県道7号線に出て10m程で越前松島への入口があった。貴船神社のすぐ裏。曲がるとすぐ駐車場があり、その先に4,5軒の飲食店やホテルが並んでいて、更にその先を真っすぐ行くと越前松島の岩礁や海蝕洞に繋がっている。駐車場の先を右に曲がるとちょっと遠回りになるが、白浜の方を通って行けるので、行ってみた。白浜の案内板のある辺り草が生い茂っており見え難い事もあったが、砂浜らしきものをみた記憶も写真も無し。(見落としたかな?)
歩いていると、チァリンチァリンとうるさい音がする。何かと思ってたら、コインロッカーのカギに鈴が付いていて、歩くと結構よく鳴っていた。
海岸線を進むと崖に作られた階段があったので、上に上がってみると更に遊歩道が続いていた。暫く歩くと、「長茶ケ浜」に出た。
『順徳上皇が佐渡ケ島に配流のみぎり難航してこの浜に流れ着いたと言われている。昔の風流人が景色を眺めながら時間のたつのも忘れて長時間お茶を飲んでいた ことから「長茶ケ浜」と名付けられた。』 (案内版より要約)
更に進むと石の鳥居があり、鳥居を潜って道なりに右側に進むと、松島三洞穴の1つ「観音洞」へと続いていた。昭和の始めに、壷形、高杯形土器、貝輪、人骨など多数が出土したとの事だそうだ。縄文から弥生時代の横穴式住居跡とも言われている。現在は、岩に空いた細長の三角形の穴は、狭いながらも中に入って奥に祀られている観音様の前まで行くことが出来た。
大島や小森島の方に行く道は通行禁止になっていた為、鳥居まで戻り「聖の穴(ひじりのあな)」へ向かった。松島水族館のすぐ裏辺りの場所にあった。「聖の穴」も「観音洞」と同様に土器や貝輪、人骨などの出土があり、古代人の住居跡と言われているらしい。こちらは、横長の楕円形のような形で、少し奥に進むと屈まないと天井に頭をぶつけてしまう位、低い。
入ってすぐの右側のに「石の如意輪観音」、左側の更に奥には「小さな石の観音堂と聖観音」が祀られていた。
三洞穴のあと1つは、何処かと案内板を見ると、白浜から貴船神社の方に行った所にある「弁慶の抜け穴」らしいが、残念ながら、危険なため通行禁止になっていた。
越前松島水族館も、魅力的ではあったが、入ったら半日くらいは掛かりそうだったので、今回は諦めて前を通過。海沿いに5分くらい歩くと、日吉神社が見えてきた。特に神社仏閣に詳しいとか興味があるとかいうわけでは無いのだが、旅先や散歩中に、初めて見る神社仏閣があると、何となく引き付けられるように寄ってしまう。
この辺りの神社の特徴なのか、注連縄が金色だった。さらに竜の彫り物の目まで金色だった。
県道7号線を通って東尋坊を目指す。県道より海側に遊歩道が有るような気がしたので、入口を探すが、見つからないまま国民休暇村の前辺りまで来た。この辺では県道も海に近くなることも有り、遊歩道(二ノ浜海岸遊歩道)への入口が見つかったので、早速、遊歩道へ軌道修正。所々、草に蔽われて歩きにくい場所もあるが、やっぱり、海風に吹かれながら海や海岸線を眺めながら、遊歩道を歩くのは気持ちがいい。
二ノ浜海岸遊歩道の雄島側の終点近くに1997年1月に起きた「ナホトカ号重油流出事故」の記念碑があった。当時は知らないが、現在は、重油で真っ黒、異臭の漂う海の姿は全くなく、綺麗な海と海岸線が続いていた。
当初はgoogleのMapsを使ってましたが、狭い道などは、ポケモンGOの地図の方が詳しかったです。右側の水色の部分が海ですが、海側の小道はポケモンの方にしか表示されていませんでした。
二ノ浜海岸遊歩道から、海沿いの自動車も通る道を500m位進むと小さなトンネルが見えてきた。トンネルに入る前から出口が見える程度の短いトンネルで「雄島隧道」と言うプレートが付けられていた。対向車が通過したところで、さっさと通過しようと早歩きでトンネル内に入った。トンネル内は薄暗いが出口が見えてるので、気にせず進むと、トンネルの中央辺りで、左右に側道のような場所があることに気が付いた。(越前松島から雄島に向かって)右側は、すぐ海へと続く行き止まり(明り取りかな?)。左側には、狭い側道を数メートル進んだ所に、何と観音様が祀られていた。何でこんなところにあるんだろうか?
トンネルを抜けるとすぐに雄島に向かう赤くて長い橋の前に到着した。ほぼ 10時45分。
早速、橋を渡って雄島へと向かった。橋は遠くからでもはっきり分かる赤い色でしかも塗りたてのように綺麗だった。幅も広いし長さも200m以上もある大きな橋だった。平坦な分だけ助かった。
島の入口には石鳥居と石を積み上げた台の上の高場に鎮座する狛犬がいた。鳥居を潜るとその先には長い石段が続いており登って行くとその先が2手に分かれていた。左側の道の方が何かありそうだったので、まずは左側に行って見ることにした。
林の中の緩やかな石段を少し歩くと石燈籠があり、その先には社務所と2本の木の間に竹竿を通し竹竿に注連縄を括りつけた鳥居(?)があった。さらに、手水舎を経由して大湊神社の社殿へと続いて居た。大湊神社は一般的な神社と違って正面に開く扉みたいなものがなく閉鎖された前に注連縄と鈴がへばりつくように飾られていた。昔、異国の軍船が渡来した時に霊験を顕し夷賊を退治されたという言い伝えから「弓矢の神」として崇められているそうだ。
大湊神社の正面から回れ右すると海に続く崖の手前に赤い鳥居があり、東尋坊の方が見えていた。
この大湊神社は延喜式内社で祭神は、事代主神少彦名命(ことしろぬしのかみすくなひこなのみこと)外五柱で、三保大明神とも号せられ、航海、漁業の守護者として、尊敬されています。永禄年間(1558~1569)朝倉義景は一門の祈祷書と定めたが。天正年間(1573~1591)織田信長の兵火にかかり、社殿はことごとく焼失しました。元和7年(1621年)福井2代藩主松平忠直公が武運長久、国家安全の祈祷所として再建されたのが現在の大湊神社の本殿であります、この本殿は桃山様式を取り入れた一間社流れ造の柿葺で、中には伊邪奈岐命のけやき一木彫の座像が安置されており、建物とともに県指定の重要文化財となっております。 案内板より転載
まだ奥に何かあるかと歩いて行くとやがて林から出て草むらの道なき道へと変わって来た。右手に雄島灯台、左手に岩がごつごつした海岸線を見ながら進んで行くうちに結局、島を半周位してたので、ついでに1周することにした。雄島の北側には磁石岩と言う磁石を狂わせる岩が点在しているらしい。磁石は持ってなかったので効果のほどは未確認。
道が再び林道になってくると終点まではあと少し。最初の2又の道で右に行った時の道に戻って来ると島内一周終了。
結構歩いたような気がしたが、雄島1周で所要時間は約40分。瓜破の水や磁石岩の近くまで行く道まで回っても1時間あれば余裕だった。
雄島の橋を本州側に渡って東尋坊に向かって歩き出すとすぐに、また「大湊神社」が見えて来た。後から道路が通ったのか、道路の直ぐ脇に鳥居と石柱が立っており、社殿までの参道も道の直ぐ脇に並ぶように伸びていた。
(後になって、この旅行記を書いてる時になって初めて知ったのですが、雄島隧道の観音様や雄島自体、有名な心霊スポットらしいですね。心霊的にやってはいけないと禁止事項もあるようですが、私は全く知らずにずかずかと見て回りましたが、今の所、影響はなさそうです。( ; ´? `) ホッ (勿論、採取禁止やゴミを捨てない等の公的な禁止事項は守ってますよ)
真偽の程がはっきりしませんので、此処では記述しませんが、心霊スポットの詳しい禁止事項はネット検索すると色々書かれてますので、興味があれば、行かれる前に予備知識として検索してみてください)
雄島の大湊神社と本州側の大湊神社は、同じ神社らしいです。大湊神社の公式ホームページがあったので見てみたのですが、雄島にあるのが「海宮」、本州側にあるのが「陸宮」と言う位で、2つの神社の関係については余り触れられていませんでした。ただ、雄島への橋が出来たのが昭和12年との事で、「橋が架かる前、海が荒れて海宮に行けない事があったので、陸宮で祭事や祈祷をするようになったのかもしれません」との事でした。
私の勝手な憶測ですが、雄島側にある海宮の本殿・拝殿が県の重要文化財に指定されてるので、海宮側が親と言うか主と言うか、そんな感じがしました。