散歩道: 嚴神社(広島県大竹市小方1)

 広島県大竹市小方1にある「嚴神社(いつきじんじゃ)」です。JR玖波駅(山陽本線)から徒歩約24分。JR大竹駅からは35分位。法華寺からなら21分位です(googleマップ経路情報より) 
 ほぼJR玖波駅からJR大竹駅への道なり上にあり山陽本線も近くを通っています。御由緒書きに出て来る亀居城跡も直ぐ近くにあります。

 大きな注連柱から長い石段が続いていました。石段の途中の右側に社務所と書かれた建物、左側に宮司さんの住居?らしき建物がありましたが、人の気配がありませんでした。
 石段を登った先も長い参道が続き沢山の境内社が建っていました。石段上がった所に狛犬が建っていましたが、普通は阿形(口が開いている)が右側、吽形(口を閉じている)が左側なのですが、嚴神社では逆の配置になっていました。阿形も余り口が開いて無かったので、最初は、両方、吽形かと思いましたが、左側の狛犬は少し口が開いていました。
 石段から右側に長い参道が伸びていて参道の途中には天満神社・住吉神社・恵美須神社の3社が一緒にはいってるお社、稲荷神社、石のお社の益豊神社、その他、名前が分からない境内社多数。
 参道の行き当たりに疫神社が有りその手前を右側に曲がった場所に4脚の石鳥居が建ち、社殿へと続いていました。
 拝殿の中には、大きな提灯、額が沢山掲げられていて、広島らしい大しゃもじや大きな筆?のオブジェ等々も奉納されていました。中央にあるものの「嚴神社」の扁額が目立ってない感じでした。

嚴神社 御由緒

 嚴神社は小方の総鎮守氏神で由緒沿革等の古伝記は慶長年間に焼失して不詳です。残存する棟札には応安2年11月12日・再建、明応5年10月18日再興、其の他、天文22年、元亀2年、天正20年、元和9年、再興等有り記録には福島正則公が広島城主であった時、其の弟福島伯老日守の築城による小方亀居城の鎮守神として尊崇極めて篤く毎年旧暦9月15,16日の氏神祭には城主自ら参拝して幣帛料を奉献されておりました。
 亀居城本丸に鎮座してありましたものを城郭が没落した後、現在の地杜地氏神山(亀居城妙見の丸)に遷座せられたものです。
 其の後も領主代々の崇敬があって祈願参拝をなし祭典用具、調度品等の奉納がありました。
 往者は嚴宮大明神と称し明治維新の際に嚴神社と改称され現在に至っております。
                            拝殿内の御由緒書きより

 石段の途中、右側に社務所と書かれた建物がありましたが、使われていない感じでした。左側に住居の建物がありました。恐らく宮司宅と思いましたが、案内等も無いし、人気も無かったので、今回は御朱印を頂けませんでした。
 注連柱と拝殿に連絡先の電話番号が書いてあったのですが、携帯からは市外局番が無いとかけられない(;_;) 因みに大竹市の市外局番は ”0827” です


稲荷神社

御祭神:正殿:宇迦之御魂神
    左殿:天宇受売命
    右殿:猿田毘古神
御由緒:京都の伏見稲荷大社より勧請して小方1丁目廣田家にて代々維持管理されてきた。
 近年では昭和7年、昭和57年に社殿を再新築。本年(平成25年)は伊勢神宮の式年遷宮を記念して社殿を再新築するとともに鳥居や燈籠、玉垣や社号標などが建立された。  

益豊神社

御祭神:大綿津見神
御由緒:嘉永5年(1852年)地区民の苦闘と並並ならぬ努力が実を結び新町新開は完成した。翌年6月21日その守護神として大樋門附近にこの神社が祀られた。
 その後新町新開は堤防の決潰等度度災害に遭い数数の苦難もあったが多くの人人の協力により今日までこの神社は護持されてきた。
 しかしこの度大竹市が排水路改良工事を施すこととなり移転を余儀なくされこの地に遷座することとなったものである。

(右側)————
天満神社
 学問・文化の神
  菅原道真公
(中央)————
住吉神社
 海上の守護神。清めの神様
  底筒男命
  中筒男命
  上筒男命
(左側)————
恵比須神社
 皇室・漁業・商工業の守護神
  事代主神
 この世のあらゆる人を救う神
  蛭子神

   

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