広島県福山市北吉津町1 にある「長久山 妙政寺(みょうしょうじ)」です。JR福山駅から徒歩約10分。實相寺からなら10分位です(googleマップ経路情報より) 福山藩2代目藩主・水野勝俊公の菩提寺で日蓮宗のお寺です。
かなり広い敷地で回りを塀で囲っている為、入り口が分かり難いです。南側に山門がありましたが、扉は閉められ通行は出来ないようになっていました(元々は、こちらが表門だったような気がします)
山門のもう一つ外側には仁王門があるようですが、私は北側を回ったので見れませんでした。ただ、南側を通ったとしても、妙政寺の南側道路は住宅街を挟んでいて、仁王門も住宅地に囲まれているようなので注意して無いと見逃すかも(^^;) (内側からは仁王門は見えませんでした)
現在の入口は西側にありました。幅が広く、ちょっとお寺らしくは無いけど、自動車で入るには良いかも。
門を入ると奥の方に本堂の左側面が見えてました。境内が広いので本堂まで、少し距離がありました。参道を歩いて本堂の方に向かうと本堂の手前に社務所の建物があり左に曲がると社務所、右に曲がると本堂の正面に向かいます。
本堂前には宮本武蔵縁の石燈籠が設置されていました。
備後福山二代藩主 水野美作守勝俊公菩提寺の当山は、総本山身延山久遠寺第十二世円教院日意聖人開山京都本山妙伝寺の流れです。当山は天正年中(一五七三~)三州刈谷で水野和泉守忠重(勝成公の父)の筆頭家老、上田無甚斉氏によって創建された寺です。後に大和郡山へ三州岡崎より水野藩と共に移建。寛永五年(一六二八)福山寺町の寿量山寂圓寺「元和年中(一六一五~)浄土眞宗、現、光善寺に合併」前地に移建しました。そして寛文六年(一六六六)九月には水野家家老の上田玄藩氏(無甚斉氏の孫)が、吉津の弘宗寺(現、東町臨済宗)を取除き、その跡地を含め規模を拡張して妙政寺を移転再興、現代に発展させる基礎固めをしました。
当地における日蓮宗門の伝導弘布は、各城主や有力武家の外護のもと、庶民階層の間にも早くから浸透。熱烈な帰依者によって支えられたこの地域の日蓮宗門は、「備前法華」に相対する「備後法華」としてその名があり、宗門伝導の一大拠点となっていました。特に備後三山中本寺格の水呑町妙顕寺並びに熊野町常国寺を中心としてその盛行には、かなり熱心なものがありました。
妙政寺のホームページより
門入って本堂の方に向かって行って左側に社務所がありました。私が伺ったのが14時30分頃だったので、ギリギリでしたが御朱印の受付は15時までとの事でした。書置きタイプでしたが、日付は直書きして下さいました。水野勝俊公の現代風アニメ画入りで特徴的です。
御朱印のページへ
Φ ポケストップがあります・・・・ 妙政寺南門、妙政寺
Å ポケモン・ジムがあります・・・