広島県尾道市東土堂町にある「海雲山 天寧寺(てんねいじ)」です。曹洞宗のお寺です。JR尾道駅から徒歩約13分。西郷寺から約13分、艮神社からなら3分位です。(googleマップ経路情報より)
艮神社の直ぐ側ですが、道なりに行くと尾道の町特有のくねくねした狭い路地で、慣れないと、どっちに向かってるのか分からなくなってしまいます。不安でしたら一度、国道に出てからの方が確実です。でも、以前、「尾道の町を楽しむには迷子になる事」的な事を聞いたことがありました。時間に余裕があれば、尾道を楽しむために迷路に迷い込むのもいいかも知れません。(実際、私は狭い路地などをウロウロするのが好きなので好んで狭い道に入ります。人の家に入りそうになったり、行き止まりだったりも楽しいもんです。千光寺山の斜面、そんなに広いわけではないので、本当に迷子になっても、大抵の場合、下側に下側にと歩いていると、大きな道に出ますよ(^_^) )
立派な山門(鐘楼門)をくぐると、この時期(11月)なのに緑が多い境内が目に入って来ます。こちらのお寺は「牡丹寺」と言われていて、3月下旬から4月にかけては、色々な種類・色の牡丹の花が咲き揃うそうです。(まだ、季節に合わせて行った事は有りません。今年、行けたら行って見ます)
山門の正面が庫裏、山門の右の方にお堂(扁額とか無かったです)があり、その正面が本堂、本堂の左側に五百羅漢堂が建っていました。本堂と五百羅漢堂の前には、「ご自由にお入り下さい」と言う案内が出ているので、中に入らせて頂きました。(こういう案内があると有難いですね)
本堂に入ると正面に「宝冠の釈迦如来」像を中心とした内陣、左側には、摩った箇所が治ると言う、さすり仏(賓頭盧)像が鎮座されていました。
五百羅漢堂に入ると、行き成り目の前に飛び込んで来る五百羅漢像に圧倒されます。最前列に大阿羅漢(十六羅漢)、2列目に釈尊の十大弟子、3列目から五百羅漢像、全部で526体が段違いにずらりと並ばれていました。江戸時代・文化年間(1804~)から明治初期頃までに、1体1体寄進されたものだそうです。
本堂の裏の裏辺り、ちょっと離れてますが、三重塔が建っています。ロープウェイ乗り場から歩いて千光寺山に登る道沿いにあるので目立つ塔です。塔から少し登った場所から塔越に尾道の町並み尾道水道を望むと綺麗な景色が見れます。こちらの三重塔は、元々は五重塔だったそうですが、上の二重を取り除いて三重塔になったそうです。
開基は貞治6年(1367)に尾道の人万代道円の発願により、足利2代将軍義詮が父尊氏の遺志をついで工費を寄進し、普明国師を講じて開山したもので、宗旨は臨済宗、創建当時は東西三町にわたる宏壮な大寺院であった。本尊は宝冠の釈迦如来。
康応元年(1389)3月、足利3代将軍義満は厳島参詣の帰途、船を天寧沖にとどめ船橋をかけさせて上陸し、この寺に一泊して備後の守護山名氏の餐応を受けた。永禄(1558-1569)の頃、足利15代将軍義昭の帰依を受け、歳米、禁札、下馬札を下賜された。元碌年間(1688-1703)に、三原の宗光寺の一雲椿道によって再興され、そのとき改宗して曹洞宗になったが、天和2年(1682)雷火のため全山焼亡、わずかに後山の海雲塔を残すのみであった。
この塔はもと五重塔で嘉慶2年(1388)の造立であるが、元禄5年(1692)に至って、永年の風雪のため上層部を損じたので、五層を改めさせ現在の三層の姿とした。塔前の碑は広島県下で最初の女性教師植村雅子先生の記念碑である。
また本堂前の羅漢堂には、江戸中期から明治期にかけて檀信徒から寄進された五百羅漢像があり、本堂西側には古の山門の礎石という巨石をのこしている。
境内の案内板より
本堂の右側に庫裏があります。インターフォンを押してお願いしたところ、御住職がお出掛けという事で、今回は書置きを頂きました。
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千光寺山を登る道の途中に建っています。天寧寺の本堂の裏の裏、ちょっと離れています。元々は五重塔だったようです。
賓頭盧(びんずる) 十六羅漢の第一。自分の治したい場所を撫でると御利益があると言われています。
五百羅漢堂の内部です。526体もの羅漢像が並べられています。すぐ近くから見れるので圧倒されます。
Φ ポケストップがあります・・・・ Tennneiji Temple
Å ポケモン・ジムがあります・・・天寧寺 三重塔
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