散歩道: 神田神社(広島県広島市南区宇品御幸4)   

 広島県広島市南区宇品御幸4 にある「神田神社(かんだじんじゃ)」です、
 広島電鉄(路面電車)・宇品4丁目駅から徒歩1分位です。今回は、東側にある新宮神社から歩きましたので40分位掛かりました。

 広島電鉄(路面電車)の通りから公園を挟んだ場所なので、交通は便利なのに静かな良い所に建っていました。
 昭和60年に全焼後、昭和61年に再建されたそうで、拝殿は現代風な綺麗な建物でした。

神田神社 ご縁起

 神田神社は、文亀3年(1503)当時祇園町の武田山にあった銀山城の城主として安芸の地を治めていた武田元繁が、祖国甲斐の国、今の山梨県から城の守護神として安芸郡牛田村、今の東区スポーツセンターあたりに奉遷したのが始まりだと言われている。
その後武田氏は毛利元就に滅ぼされ社殿は荒廃したが、元就の孫の毛利輝元が広島城を築城して入城すると、輝元は神田神社の荒廃を憂いて天正19年(1591)武田氏の遺臣池田宮内を神主として社殿を再建し、広島城の守護神として祭った。今の神田橋というのは神田神社に参拝するために架けられたもので、神田山という地名も神田神社に由来していると言われている。
 毛利氏に替わって福島正則が城主となると、福島正則は各地の社寺の領地を悉く没収し神社は再び荒廃し始めた。その荒廃ぶりを嘆いた地元の村民等の篤い願いを福島正則はやっと聞き入れ、神社の護持を村民等にまかせるようになり、神田神社は牛田村の氏神様として牛田地区の村民等によって祭られるようになった。
 明治22年(1889)神領地は旧陸軍省の用地となり、神田神社は当時千田貞暁が埋立てた新開地である宇品へ移転した。宇品の住民は神田神社の奉遷を心から祝って最初に出来た道路に神田通りと名付け、以後春日通り、住吉通り、八幡通りと神社にちなんだ名を付けた。
 明治33年(1900)台風による津波で神社は大破し、昭和六年(1931)現在地に新築移転した。昭和60年(1985)4月21日不慮の火災により全焼したが、翌61年9月に約2億3千万円の浄財で復興造営した。

                                 境内の説明石碑より

 拝殿の右側奥が住居兼社務所になっているようです。玄関のインターフォンを押してお願いすると奥様が出て来られ対応して下さいました。
 後で分かったのですが、元々は東区の不動院の近くにあったようで、現在、不動院に隣接している「自在坂神社」の管理もされているようで、「自在坂神社」の御朱印も頂けるようです。

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