散歩道: 岩谷寺(広島県広島市東区温品4)

 広島県広島市東区温品4にある「高尾山 岩谷寺(いわやじ)」です。真言宗のお寺で、広島新四国八十八ケ所霊場の第27番霊場です。JR天神川駅から徒歩約36分、道隆寺からなら14分位です。(googleマップ経路情報より)
 帰りは、JR天神川駅まで40分かけて歩いても良かったのですが、途中に御朱印関係の場所も無いので、無理せず、岩谷寺から徒歩で5分程度の温品4丁目バス停から、バス(所要20分位)で広島駅に帰りました。

 行政区の境を越えて安芸区府中町から飛び出してしまいましたが、御朱印を頂けるのが府中町の金剛寺である事や、府中町からはそんなに離れてないので府中町巡りの中で参拝させて頂きました。
 海の網に引っ掛かった石仏を祀ったのが始まりのようです。

 道隆寺から行くと南東側の駐車場から入りました。特に山門らしきものは見当たらなかったです。 お寺と言うと塀とかで囲まれているイメージですが、確かに低い囲いは有るものの殆ど目立ちません。周辺の外部が良く見え開放感のあるお寺ですね。 入り口は何ヵ所かありましたが、何処が表門になるのかは不明でした。
 境内には、本堂を囲むように毘沙門堂、大師堂、名称不明のお堂等、独立したお堂の建物が多かったです。

 後で撮った写真を見て気が付きましたが、鐘楼に「鐘突き棒」が写って無かったです。角度的に鐘の後ろに隠れている訳でもなさそうです。住宅街の中にあるので騒音対策ですかね?

岩谷寺 御縁起

 高尾山・岩谷寺は、温品の東にそびえる高尾山の山頂近くに、古くから「岩谷観音堂」としてまつられており、昭和44年(1969年)に、ふもとのこの地に移されました。
 高尾山山頂近くにあった「岩谷観音堂」は。明治16年(1883年)に真言宗高野山から「高尾山・岩谷寺」の山号を受け、京都の仁和寺に属する寺院としてまつられることになりました。以降、広島市内や近郊からの信者が多くなり、春の祭礼日には、屋台が境内から参道まで並び、大勢の参拝者が山に登ったとのことです。
 伝説によりますと、平安時代末期、近藤三郎左衛門という甲斐の国の武士が伊勢の沖まで海に出て魚網を降ろすと、観音像の石仏が網に引っ掛かったのです。これは不思議なことと、その石仏を家に持って帰って安置していました。その後、三郎左衛門は武士を捨て安芸の国へ来て、温品の高尾山に観音堂を建立して、この石仏を安置したということです。
 昭和42年に本堂の一部が焼失し、昭和44年地域の方から土地の提供を受け、現在地に新しく本堂や鐘楼などが建立されました。
 現在、岩谷寺は「広島新四国八十八ヶ所霊場 二十七番札所」の巡拝コースとなって、信仰を集めています。

                                境内の説明板より


 御朱印は、安芸郡府中町にある金剛寺の本堂正面の左側の御納経箱から頂く事ができます。

 岩谷寺は、安芸区府中町巡りの枠からの派生でした。広島市東区で調べていれば、岩谷寺から徒歩7分位で、もう1社御朱印を頂けるという情報がある「清水谷神社」がありました。(後の祭り(;_;) )

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