散歩道: 今宮神社・疱瘡神社 (広島県広島市南区堀越)

 広島県広島市南区堀越にある「今宮(神社」と「疱瘡(ほうそう)神社」です。
 JR向洋駅から今宮神社まで徒歩約13分、疱瘡神社まで徒歩約13分。今宮ー疱瘡神社間は8分位です。(googleマップ経路情報より)
 両神社共、普段は無人で、この後参拝予定の大原神社の神主さんが兼任されているそうです。

今宮神社

 Googleナビに従って来ると例によって裏側に案内されました(^_^;) 裏参道から入り、いきなり本殿、拝殿で参拝した後、表参道を通って石段、鳥居から出ると言うパターンでした。
 本殿、拝殿を見た時、そんなに大きな境内とは思わなかったのですが、長い参道や立派な石鳥居、石段があり結構、境内が広かったです。
 

今宮神社 御由緒

御祭神 :  素戔嗚尊、大穴牟遅命
相殿神 : 大物主神、天女昆売神、少彦名神、事代主神
御由緒 :
 昔の人の申し伝えによれば、天正年中(1580年ころ)当地は病害虫の発生と狐狸の害による農作物への悪影響、疫病の流行による住民及び家畜への被害は甚大であった。
 よって、住民は、祭神を守山に勧請し、 攘災 を祈願した。
 これにより、当地の転載地変は鎮まり、住民は安息した。
 享保10年(1725年)当地へ遷座し、以後鎮守の神様として崇拝されてきた。現在の神殿は、天保3年(1832年)建立の記録がある。
 平成17年(2005年)に拝殿・参道・階段あわせて胡子神社を全面改修した。

                                   境内の石板より

疱瘡神社

 細い道を登って行くので道に迷いそうですが、結構、案内板が設置されていたので、迷う事も無く行くことができました。小高い丘の上ですが、周りは住宅に囲まれて少し窮屈そうでした。参道は数方向に何道かあるようでどれが本道か分かりませんでしたが、鳥居や狛犬等は見当たらずお堂と言うのかお社というのかが建っているだけでした。
 境内にあった御由緒の説明書きを読むと「本尊」とか「阿弥陀如来」とかの言葉があり、お寺っぽい感じなのですが、神社なんですね。

疱瘡神社 御由緒

 源義朝の死後、その側室であった常盤御前は3人の子どもを連れて平清盛の所へ助命嘆願に行きました。そしてその後に生まれたのが「天女姫(てんにょひめ)」であり、従って源義経とは異父同腹の兄妹です。
 姫はその名の通り天女にも似た美女でしたが、不幸にも疱瘡(天然痘)という病気に罹り、清盛は全国の名医を集めて治療に専念いたしました。しかし、病は容易に癒えず、「この上は平家の守り神である厳島明神の力におすがりする外ない」と治承3年(1179)2月上旬に、姫を船に乗せ沢山の女官・従者を従えて、海路26日宮島に参着し、祈願の後帰路に就きましたが、急に病状が悪化し2月29日に姫は14歳を一期に息を引き取りました。
 清盛は止む無くしの遺骸を埋葬すべき所を神に伺ったところ「これより東方七里、赤旗が建っている場所こそ埋葬の地である」とのお告げに従い、遺骸を船に乗せ東方向灘の浦まで漕ぎ来ると、まさしく赤旗の建っている丘があり「ここぞその場所」と考え、金銀12枚、手球7つ、玩具類7個と姫が肌身離さず持っていた一寸八分の黄金仏などを副葬品として埋めて、そのしるしに「せんだんの木」を植えておきました。
 そして、その場所から東方八間の所に四間四方のお堂を建てて、本尊に阿弥陀如来を祀り、その脇に十二単で身を飾った姫14歳の立ち姿の木像を置き、入魂の秘法を行い本尊に配し祀ったと古い言い伝えにあります。
 その場所が昔からこの場所と伝えられています。
               『仁保村志の元文より要約』

                                 境内の御由緒板より

Φ ポケストップがあります・・・・今宮神社由緒記、疱瘡神社鞠の石碑
Å ポケモン・ジムがあります・・・今宮神社、今宮神社 鳥居

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