散歩道: 広島平和記念公園 (広島県広島市中区)

 広島県広島市中区にある広島平和記念公園です。
 バスだと紙屋町、路面電車だと原爆ドーム前、アストラムラインだと本通り(ちょっと遠いかも)
 原爆ドームは 川を挟んで 三角州から外れてますが、広島市のホームページ見ると「原爆ドーム」も平和公園に含まれてるようです。
 テレビで平和の式典とかで見る事もあるかと思います。公園内には、沢山の慰霊碑や「平和祈念館」や「平和記念資料館」等々、見所も沢山ありますよ。

原爆ドーム

原爆ドーム
原爆ドーム

 元々は、広島県物産陳列館として1915年に建築されました。れんが造りの3階建てで、正面中央部は5階建ての階段室で、その上に楕円形のドームが載せられてました。
 その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館(ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん)と改称(かいしょう)し、戦争末期の昭和19年(1944年)からは内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用されました。
 広島市のホームページより抜粋

平和の鐘

平和の鐘
平和の鐘

この梵鐘、鐘堂は広島の彼岸に立って、すべての核兵器と戦争のない、まことの平和共存の世界を達成することをめざし、その精神文化運動のシンボルとして造りました。
 この梵鐘、鐘堂は平和を願う万人の心と浄財を結晶させてつくりました。
 この鐘の音を、広島から、世界のすみずみまでひびきわたらせ、全人類の1人ひとりの心にしみわたらせることを願っております。
        案内板より転載

原爆の子の像

原爆の子の像
原爆の子の像

この像は、2歳の時に被爆した佐々木禎子さんが、10年後に白血病で亡くなったことをきっかけに、同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけ、全国の3,200余りの学校や世界9か国からの寄付などにより、1958年5月5日に完成したものです。
 像の高さは9メートルで、その頂上には折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち平和な未来への夢を託しています。側面には少年と少女の二体の象が配されています。
       案内板より転載 

 中には折鶴が付いた鐘が吊るされていて風鈴式に音が出ます。チェーンが付いてるので手でも鳴らせます。
 また、周辺には千羽鶴を吊るすブースで囲まれています。

原爆供養塔

原爆供養塔
原爆供養塔

世界最初の原子爆弾(昭和20年8月6日午前8時15分)による犠牲者数万柱の遺骨を納める。この地一帯が爆心地であったため、期せずして、ここに痛ましい無数の遺骸が運ばれ処理せられたものである。
 昭和21年1月広島戦災供養会が創立せられ、同5月仮供養塔、同7月仮納骨堂・礼拝堂が市民の喜捨により建立せられ、昭和30年7月満10周年を期して、広島市が中心となって、納骨堂を改築せられ、各処に散在していた遺骨を此処に納めた。毎年8月6日には全県市挙げて追悼の誠をこめた供養慰霊祭が行われるほか、毎月6日例祭が行われている。供養行事は広島県宗教聯盟が奉仕するほか、各宗教派別による特別供養も厳修せられている。      案内板より転載

広島平和都市記念碑

 広島平和都市記念碑
広島平和都市記念碑

 この碑は、1945年8月6日、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを念願して設立したものである。
 碑文は、すべての人びとが、原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている。
 中央の石室には、原爆死没者名簿が納められており、この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている。     案内板より転載

広島平和記念資料館

広島平和記念資料館
広島平和記念資料館

 本館と東館から成っています。 本館は2019年4月25日にリニューアルオープンしたばかりです。地上2階建てで一部3階建てになっています。メインの展示室になっています。
 東館は地下1階地上3階で、展示だけでなく、ビデオシアター、ホール、会議室、休憩室、売店等々の多機能な建物になっています。
 本館と東館は、渡り廊下で繋がってます。本館の西側には広島国際会議場があり、本館を中心にした左右対称の構成になっています。   
   公式ホームページより要約

 平和公園内、以前はあったんですが、削除申請の末、ポケモンジム・ストップは全部無くなりました。

  

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