
9時少し前に、春日山駅から、春日山城跡へと向かう。旅行の計画中に「春日山駅にはコインロッカーが無い」との情報を入手していたので、荷物は、ホテルに預かって貰った。実際、春日山駅は小さな駅でコインロッカーは無かった。
スマホでナビを立ち上げ、Bluetoothのヘッドフォンを付けた。当初は、音無しでスマホのナビ画面をちょくちょく見ながら歩いていたが、この旅行中に確立した方法で、ナビの音声も聞きながら歩くやり方だった。ヘッドフォンとは言ってもちょっと大きめのイヤホン位の大きさで、外部音も取り込めるタイプなので、付けていても外部音は聞こえる。念のため片耳は外しておくので安全面は万全。スマホの画面を見る回数も減るので、この方法のが、安全。ただ、ナビも東西南北でアナウンスされると方向が分からない。右左のアナウンスならすぐ分かるのだが、歩き始めや、ちょっと立ち止まると、人がどっちに向かってるか、ナビの判断が狂う事があるようで、全く逆の方向を指示される事もあり、慣れるまでは、少し戸惑う事もあった。
昨日までは、涼しかったが今日は暑くて湿度も高い。大手道との分岐点(9:20)を通過すると段々と上り坂がきつくなって来たが、此処まで来れば、もう1kmも無い距離。春日山駅から、少しゆっくり目に歩いても、1時間程で春日山城跡・上杉謙信公銅像の前に到着した。(ほぼ9時半)
まずは、右手に進み春日山神社に行ってみた。春日山神社記念館の前を通過して、春日山神社の石柱や鳥居の手前に、黒い布地に赤字で愛と書かれた前掛けをしたカエルの石像があった。足元には「ふりかえる」と書かれていて、カエルは、今来た道(謙信公の銅像)の方を向いている。他に詳しい説明が無かったので、何を示しているか不明だった?
「春日山神社」と書かれた大きな石柱と石鳥居があり、その前には長い石段があった。石鳥居の方に振り返ると右手に手水舎がありその先の2組目の狛犬の所まで進めば、正面には「社殿」、左側には「神輿殿」、右側には「北海稲荷神社」が配置されていた。境内にはその他にも、古そうな大砲と砲弾、忠魂碑と書かれた石碑をはじめ沢山の石碑等々が設置されていた。
春日山神社は、山形県の米沢市にある上杉神社から分霊され、謙信公を祭神として祀られている。
大砲の裏辺りに道があり、城跡の周回道へと続いていた。此処からは更に急な道や階段を上っていく事になる。
春日山神社から、千貫門、空堀、直江屋敷跡、毘沙門堂などを経由して「春日山城址」の石碑まで50分程。殆どが「何々跡」の石碑や案内板で、実際に建物としてあったのは「毘沙門堂」位だった。 (毘沙門堂の横にある立派な建物は休憩場でした)
今日は天気がいいので本丸跡や天守台跡からは、上越市内は勿論、遠く米山、尾神山や海の方まで見る事ができた。(天気が良く、靄とか無かったら、佐渡の方まで見えるそうです)
此処からは基本下り坂、大井戸、景勝屋敷跡、柿崎屋敷跡、南三の丸を経由して大手道を通って番所跡、大手池を経て、来る時通った大手道との分岐点まで降りてきて、春日山城跡をぐるりと一周。11時半。本丸跡から約50分。
春日山城跡で存在する建物は、春日山神社、上杉謙信公像、毘沙門堂位しかないけど、1周するのに2時間近くも掛かる大きな山城後で、此処にこんなお屋敷、此処にはこんな門、天守閣からこんな景色が見えるとって想像してみてると上杉謙信は凄い城に住んでいたんだなぁ~ って感じられた。パンフレット類には、地図と何々跡位の表示しかないけど、お屋敷や門、天守閣など、イラストでもいいから、昔の状況を再現したものが欲しかった。有ったらもっとリアルにロマンが膨れそうだ。
春日山神社から北へ10分位で「林泉寺(りんせんじ)」 に着く。スマホのナビの利用で、抜けるまでは半信半疑の細い道も通ったが、思わぬ近道を発見する事になった。(ナビは、時々、道なのか? って場所を指示して来ますが、大抵は正解でした)
林泉寺の惣門の前を通って受付で大人1人500円払って惣門は潜らず横を通って境内に入って行った。まずは正面に四季咲のかきつばたの花畑があり、その先に大きな山門が目に入って来た。
大きな金剛力士像と、入口側には「春日山」、本堂側には「第一義」と言う大額を掲げ、山門の真下から天井を見上げると大きな龍の絵が描かれていた。今回は、たまたま気が付いたから良かったが、注意して無いと龍の絵は見逃してしまいそうだ。金剛力士や狛犬みたいな阿吽の龍なのか、口の開いた龍と口の閉まった龍の絵は中々の迫力。(但し見るには首は痛いしバランス崩してこけそう (^_^;) )
山門を潜ると左側には鐘楼と庭園内の石碑、小さなお地蔵さん、アジサイの葉っぱで覆われ良く見えなかったけど、釈迦の足跡(仏足石)、右側には宝物館、正面には睡蓮の池の向こうに本殿が並んでいた。
まずは左回りで、鐘楼、石碑、仏足石と見て回り、睡蓮の池に。最初はハスの池かと思って花もチラホラと咲いていてラッキーと思ったが、よくよく見たら、ハスでは無くて睡蓮だった。(睡蓮の花も十分美しいのですが、見かける事が多いのに対してハスの花は見られる機会が殆どないもので・・・)
本殿に行って見た。1496年、越後守護代・長尾能景が、亡父・重景公の17回忌にあたり、長尾家の菩提所として創建された。ご開山は室町時代の曹洞宗の高僧・曇英恵応禅師(どんえいえおうぜんじ)。その後、越後領主となった家々の菩提所になったという事で、本殿の屋根の上に、長尾家、上杉家、堀家、松平家、榊原家の5つの家紋が掲げられていた。
本尊は釈迦牟尼仏、脇侍として文殊菩薩、普賢菩薩、脇間には曇英恵応禅師や上杉謙信公等が祀られていた。
本殿でお参りした後、右側の宝物殿へ行ってみた。謙信公の肖像画や春日山城図、上杉家をはじめ所縁の大名家の仏像、甲冑、馬具等など多数展示されていた。(館内撮影禁止) 案内係の人が親切に色々と解説してくれた。
境内をブラブラしていると本殿の左側に山の方に上る階段があった。歴代領主家の墓地があるらしいので、登ってみた。
長尾家、上杉家、堀家、松平家、榊原家がそれぞれのエリアに分かれてお墓を立てており一周すると、傾斜がきつく結構な運動になった。
春日山城跡内のオレンジ色のアイコン部分は、「ラインやシェイプの追加」機能で経路図(ピンク線)を引いたのですが、アイコンのポジションと連動していない為、地図を拡大縮小するとズレてしまうようです。申し訳ありません。