
山口県下関市観音崎町に建っている「重関山 永福寺(えいふくじ)」です。JR下関駅から徒歩約20分。愛宕寺からだと7分位です(googleマップ経路情報より) 臨済宗のお寺です。
googleマップナビだと本堂の西側の方に案内されます。この場所から道が有るのかは不明ですが、表門は南側の道路(国道9号線の一本北側の道)沿いの場所にあります。googleマップナビに案内される場所とは結構離れています。googleマップだと「旧山陽道・赤間関街道 起終点一里塚跡」という場所にポイントすると門前に行きやすいです。
入り口には、山門のようなものは無く、社号標の石柱が2本立っているだけですが、その先はそんなに急ではないですが、幅広の長い石段の参道が続いています。町中ですが、障害物が少なく、展望台に登ってる感じでした。
小高い山の上まで登ると本堂が建っていました。長くて広い参道に比べると、ちょっと小さ目の建物でお寺と言われればそうかもしれないって感じでした。(幟とか垂れ幕も無く扉が閉じられていたら普通の住宅にも見えます(^_^;))
沿革にも書かれてますが、第二次世界大戦の戦火で、多くを失ったそうですが、以前は山門やお堂類もあったそうです。
「300年前、親孝行な娘が若くして病気で亡くなった後に、仲の悪い両親を心配して、幽霊になって和尚の前に現れ、両親を諭すようにお願いした。和尚は、幽霊の姿を絵にして両親を諭し仲良くなった」と言った話が伝わっているそうです。娘の命日が十七夜観音の縁日だったので、この幽霊は観世音菩薩の化身とされ、毎年、十七夜観音の縁日に観音祭(幽霊祭)が開催され、ご本尊や掛け軸の幽霊の絵が公開されるそうです。(毎年 7月17日かな?)
屋台とかも出るそうです。こちらの広い参道なら、屋台が出ても問題なく通行できそうです(^_^)
当寺は臨済宗南禅寺派に属し、今より千四百年余前推古天皇御代十九年に百済国聖明王の王子琳聖太子がわが朝の聖徳太子の御徳を慕われて来朝、この岬に降りこの風光明媚な海峡を深く愛でられ護持念佛の千手観世音菩薩の御尊像を安置し一字建立したことに始まる。故にこの地を観音崎と言う
この海峡は難航路であり様々な要人が暴風雨の最中通過の際、観音崎の当寺に向かって通過祈願したところ忽ち波は穏やかになったという。それ故藤原冬嗣卿の請願、平常天皇の命により諸堂が整備され琳聖太子護持佛を胎内佛として運慶による胎外佛が奉納された。また当寺門前は山陽道赤間関街道の起終点として栄え、北前船港でもあることから多くの問屋が店を連ねた。
その後大内氏、毛利家の庇護を受け護持されてきたが、昭和二十年七月二日第二次世界大戦の戦火を受け 諸堂悉く灰塵となり未だ 復興中である
本堂左側の案内板より
本堂の左側に庫裏らしき建物があったのでインターフォンを押してみましたが反応なし。お留守のようでした。






Φ ポケストップがあります・・・・
Å ポケモン・ジムがあります・・・
愛宕寺 ⇐ (前) :: (次) ⇒ 長門国分寺
