
山口県下関市竹崎町に建っている「大歳神社(おおとしじんじゃ)」です。JR下関駅から徒歩約6分位です(googleマップ経路情報より) 2日目の最初に参拝する神社です。
googleマップナビだと、道が無い所に案内されてるかと思ってましたが、一応、道は繋がってるみたいです(裏参道?)。ただ、表参道は南東側、国道9号線沿いにあります。
ホテル前からは斜め向かいに見える場所ですぐ近くでした。国道9号線を渡らないといけませんが、陸橋があり、陸橋を渡った所に入り口があります。金文字で「大歳神社」と書かれた扁額を掲げた石の大鳥居が立っていて、そこから長い石段が続いてました。石段前に自動車が3台、石段の入り口を塞ぐように駐車していて「マナーが悪いなぁ~(‘_’メ)」と思いました。後で分かった所、石段上の境内で工事している業者さんの自動車だったようですが、それにしても、もう少し止め方が・・・(石段の上の境内には歩かないと行けないようです)
大鳥居の場所や角度が微妙な位置にあって正面から撮影するのが難しいですが、陸橋の上からだと正面から撮影出来ました(やっぱり、自動車が邪魔(^_^;))
こちらの石段も急で、段と年齢を関連付けして、石段に〇〇厄とか白寿、百寿とか表記され、最上段には「115段(旧:123坂 お祓い坂)」と記されてました。石段を上る事で厄払いをしてくれるようです。
今回の下関市では、長い石段の神社が多い感じで、大歳神社も長い石段を登って行かないといけませんでした。石段の終わり辺りに石鳥居、登り切った場所には尻尾小さ目、体も小さ目の狛犬、二の鳥居の石鳥居をくぐって、もう一対の狛犬が鎮座した後ろに社殿がたっていました。拝殿前の狛犬は、二の鳥居前の狛犬よりは大きかったですが、やっぱり小ぶり。阿形は何故かほっぺに穴が開いてました。くり抜いたような穴なので、意図して開けた穴のようですが、意味合いは分かりませんでした。
下関で源氏に関わる神社で、源氏が平家を破った事から武運長久・必勝祈願・心願成就の神として祀られているという事で、拝殿の扉の左側のガラスに源義経が祈念を注いだ桑の弓矢を平知盛率いる平家軍に射る姿が描かれていました。ガラスなので光が反射して、ちょっと見難いです(^_^;)
社殿の左奥の方に蛭子・八坂神社、右側横の方に五社稲荷神社がたっていました。
拝殿の左側の先の方には、もう一つ石鳥居がたっていて裏参道に繋がっているようでした(googleマップナビだと、裏参道側の道に案内されます)
参拝日が2月17日なので、2週間くらい経ってましたが、御朱印を頂いた後、何故か節分の豆をたくさん頂きました。(良いおやつになりました(^_^)
こちらの宮司さん、ご不在日をHP、インスタグラムやフェイスブック等で発信して下さっているので、御朱印希望で行かれる場合は、事前にチェックしてみて下さい。
大歳神社公式ホームページ
大歳神社インスタグラム
大歳神社フェイスブック
寿永四年(一一八五年)、平家追討の任務を受けた源義経は、壇ノ浦の合戦に望んで武運の守護神と仰ぐ富士浅間の大神の御神助を請い、平家が布陣を整える彦島を望む有明山 (JR下関駅東口付近)に小松を植え、篝火を焚き、二日二夜(七日七夜とも云われる)の斎戒沐浴をして戦捷祈願をこめた。
その後、祈念を注いだ桑の弓矢をもって平知盛率いる平家軍に開戦の矢文を射込んだ。
驚いた平家軍は急遽、壇ノ浦に軍船を進め一戦を挑んだが、待機していた源範頼の軍勢と義経軍との挟み撃ちに合い、敢え無く滅亡したと云う。
翌年の文治二年(一一八六年)、四軒の漁民が義経の祈願の有様を畏敬して、神祠を祀ったことが大歳神社の起源とされる。
爾来、武運長久の神としての御神威は光輝を益し、文久三年(一八六三年)、馬関攘夷戦に際しては、高杉晋作の唱導により奇兵隊が氏子・白石正一郎宅にて結成され、維新回天の大業に勇名を馳せた。その時の奇兵隊旗揚げの軍旗は大歳神社に奉納された。翌元治元年(一八六四年) 折しも四国連合艦隊との交戦となったが、正一郎は攘夷成就を祈請して大鳥居を奉納した。 (鳥居横 詳細文有)その後下関の発展とともに昭和一五年(一九四〇年) 関門鉄道トンネル工事の際、社地が鉄道線路敷地に接収され現在の高台に遷座されたが、御神威はいよいよ高く本州最西端の鎮護の神と仰がれている。
殊に、下関において源氏と縁のある唯一のお社であることから、古来より勝運の神として崇められ、現在は心願成就のお社としても広く知られている。
境内の案内板より
石段登って右側、拝殿の右前に授与所があります。授与所が無人、呼び鈴等も見当たらなかったので、社殿の右奥にある宮司さん宅らしきお家をお訪ねしたら、出て来て下さって対応して頂きました。
直書き以外にも限定の書置き御朱印が沢山ありましたが、こちらも通常の倍くらいのサイズのものが多かったです。
天気が良くて、まだ朝が早い時間帯だったので、写真だと明暗の差が大きく見辛い写真になってしまいました(^_^;)















蛭子神社・八坂神社
御祭神: 蛭子命
素盞嗚命、牛頭天王、武塔天神
当地の竹崎は八百年前より『四軒の漁師』の集落として点在していた時代が 長く続いた。時代の趨勢に伴い漁業の集積地として下関が中核をなした頃、漁師が同町の大洋漁業(マルハニチロ)の創設者中部幾次郎翁の赤誠を仰ぎ、大正七年に現社殿並びに鳥居や玉垣等は造営され神社としての様相が整った。併せ、合祀している八坂神社は豪商白石正一郎邸にて胸を病んだ錦小路頼範卿 (七卿)の快復を八坂神社に祈請して祀ったことに因んでいる。
《参内を乞う錦小路頼範卿の御心を慰撫するために京都の八坂神社を奉祀した)
境内の案内板より




本殿の左側辺りに「蛭子神社・八坂神社」と刻まれた扁額を掲げた石鳥居がたっていました。石鳥居の先にお社がたっていましたが、木々に囲まれた陰になっていて近くまで行かないと見えませんでした。石垣の台の上にちょっと色の違った石の屋根に石の祠がたっていました。
正一位五社稲荷神社
御祭神: 上丸三社明神、静姫明神(静御前)、徳姫明神(建礼門院・平德子)
現在の神社としての様相が整う(天保年間) 以前から、境内の石碑(五社稲荷神社社殿の 後ろにある)にご神霊を奉祀していた。その 石碑に刻まれているご祭神は本社と併せ深い 信仰の跡が偲ばれる。本社の大歳神社は、 源義経の戦捷祈願を以てご創建となす。それ 故に、摂社の五社稲荷神社の二柱の姫明神に は懐かしさと親しみを感じる。伏見稲荷神社 を始め全国の稲荷神社には無い下関ならでの 歴史の香を感じるご祭神である。
境内の案内板より




大歳神社の拝殿の右側にありました。赤鳥居の手前に御由緒書きがあり、ちょっと屈み気味で長い赤鳥居のトンネルを通った先に大きな石の台の上に青緑の屋根に朱塗りのお社がたっていました。拝殿の陰になっていて暗いのでストロボ使ったら、お社の扉がガラスだったので、しっかりと乱反射してしまいました(^_^;)
Φ ポケストップがあります・・・・
Å ポケモン・ジムがあります・・・大歳神社 大鳥居、大歳神社 鳥居
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