
大分県大分市上野丘西に建っている「総社山 圓壽寺(えんじゅじ)」です。JR大分駅から徒歩約26分。JR古国府駅からだと11分位です。弥栄神社からだと11分位です(googleマップ経路情報より) 臨済宗のお寺です。
弥栄神社からだと一度久大線の線路を渡り東方向へ。岩屋寺石仏の所で北(左)側に曲がって、もう一度線路を渡って少し坂を上った所にたっていました。坂の高い側に山門がたっています。
山門やその前には、由来の説明板に書かれている下馬の立て札や「大友家代々祈願菩提道場」「願かけ不動尊」と言った扁額が掲げられていました。(文字は擦り切れて読み難いので文字が違ってるかもしれません)
山門や説明板等はかなり古いようですが、本堂と左側の納骨堂は、最近に改装したのか、かなり現代的で綺麗な建物でした。本堂の扉は少し開いていて中に入れるようでした。私が行った時は、中から話し声がしていたのですが、奥の方のようで、姿は見えませんでした。
境内に御由緒の案内板がありましたが、表面を保護しているシール?部分が剥がれたりして見えにくくなっている部分があり、前後の文脈からの私の推測が含まれています。
この寺は「古刹総社山圓壽寺」古くは南崖下の岩屋寺石仏を境内にもち、最初の本堂はこの岩屋寺石仏から元町石仏までの広大な寺城内にあった。「宇佐大鏡」荏隈勝津留に関わる天喜2年(1054)及康平2年(1059)の条に寺名が記入されてある。藤原時代(11世紀)中頃より何百年かさかのぼった開創と傳えられている。大友貞親が嘉元2年(1304)に近衛関白兼経の末子、道勇和尚を招請して中興の祖とするとともに、ここに豊後国総社があったことから総社山の山号がつけられたという。
さらに大友貞宗(6代)徳治2年(1307)に現在地にうつして圓壽寺と名づけた。貞宗公は石仏を尊び大友家の祈祷寺、菩提寺とした。六ツの本堂(六坊)が造られ、その被護のもとに栄えた。
明暦元年(1655)初賴井路をつくった江戸時代の藩主、日根野織部正吉により、将軍家菩提所の寺格がつくられた。葵の紋所となり、「下馬」札が寺門に建てられた。文久元年(1861)に大給松平近説により現在の本堂、鐘楼、山門が建てられた。一千数百年の法燈は現在でも(秦順道)住職が厳格に守りつづけている。この寺には県指定文化財「柿本人磨図」や「六曲屏風」など宝物の数は大分市第一の寺であろう。境内には、児童施設としても活用されている。
(黄色下線部分は見えにくく推測です)
境内の案内板より
本堂の奥の方から話し声が聞こえたので行ってみたけど、思ったより奥だったので、それ以上は入れず、庫裏・社務所を探そうと一度外に出て、本堂の右側でウロウロしていた所に、ご住職が出て来て下さったので、御朱印をお願いしました。








Φ ポケストップがあります・・・・ 園壽寺本堂、園壽寺鐘楼、円寿寺の石灯籠
Å ポケモン・ジムがあります・・・

