
秋田県秋田市旭北栄町6-35に建っている「義峰山 鱗勝院(りんしょういん)」です。JR秋田駅から徒歩約25分。勝平神社からだと5分位です(googleマップ経路情報より)
勝平神社からは、googleマップナビだと北側の入口の無い場所に案内されました。入口の山門は東側にあるので、7,8分位掛かります。 曹洞宗のお寺です。
現在の山門は久保田城の裏門にあったもので、二層の楼門だったものを移築時に改築して現在の形になったそうです。山門くぐると、正面に、木々に囲まれた大きな本堂が見えます。本堂のすぐ前に行くまで、前面の木々に隠れて本堂全体は見えませんでした。本堂の入口は、雪の多い寒い地域の特徴で、2重のドアでした。ガラス戸なので中は良く見えました。
本堂の右側の社務所・庫裏にお訪ねして御朱印をお願いしました。待つ間、本堂の中に入れて下さったので、中で参拝させて頂きました。
御住職のお母さまらしき女性。非常に話好きなようで、熊の話(クマが居座ったのは土崎のスーパーだったこと、こちらで知りました(^^;))、鳥取から青森まで歩いて行った人がいたそうで(私が土崎駅から歩いて来たと言うと)、あなた? と チガイマス(^^;))、次は何処に? あっ、そこなら、ここ出て・・・と案内して下さったりと、色々、お話しさせて頂きました(^_^)
明治十九年(1886)四月三十日、秋田町48ケ町3474戸を焼失した俵屋火事で、当院も伽藍等をことごとく失う。
この門は、その後、佐竹家より拝領したもの。久保田城の裏門で二の丸から本丸に至る裏御門坂にあったもの。(千秋公園鯉茶屋前の石段を登り、さらに左に折れて登りきった処、現在も礎石はそのまま現存する)
久保田城は再三火災に見舞われており、この門は1778年焼失後、二層の楼門として再建された。
明治十三年(1880)七月の久保田城本丸火災の後、藩政時代から現存する建造物は、御物頭御番所と裏門だけとなった。
その後、移築の際に現在の形となり、原形ではないものの、当時の築材そのままを移築した貴重なものである。
境内の案内板より
本堂の右側に庫裏・社務所がありました(夏から再建するとの張り紙があったので、お訪ねする時期によっては場所がかわるかもしれません)
御朱印をお願いすると、秋田七福神の御朱印もあることを教えて下さったので、通常のと秋田七福神の2種類を頂きました。








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