山口県山口市水の上町5に建っている「正宗山 洞春寺(とうしゅんじ)」です。JR山口駅から徒歩約32分。多賀神社からだと13分位です。(googleマップ経路情報より) 臨済宗のお寺です。
山口大神宮や多賀神社から直線距離だと500m位なのですが、ナビに従って道なりに行くと少し遠回りになります。(地図で見ると木々で隠れてて分からないのですが、もしかしたら近道があるかも(未確認)
国道9号線から北西の方の上って行って、道が右に大きく曲がる辺りに洞春寺の入口の山門が建っていました。国の重要文化財で本柱2本それぞれに2本づつ控柱が付いている四脚門でした。
山門から中門までは、結構長い参道が続きます。中門をくぐると正面に大きな本堂が見えてきます。
本堂の左側に観音堂、左側奥の方には竹林が拡がっていて、私が参拝に行った時は、静かな環境の中で、竹林の方から、チェーンソーで木を切るような音だけが響いてました。業者さんが竹林の整備をしているのだと思っていましたが、御朱印を頂く時、御住職が作業着を着てらしたので、もしかしたら、御住職が竹を切っていたのかも。
毛利元就公の菩提寺である。元就公は、安芸郡山城において七十五歳で没し、墓は郡山にあり菩提寺も近くに建立された。しかし毛利氏の防長移封により萩城内に、さらに山口に移された。元就公が生前、敵味方の戦死者の供養のために行っていたという、法華経千部会は現在も寺で行われていて、公の志を今に伝えている。寺宝として元就公画像の外、多くの文書、絵画が蔵されて いる。
境内の案内板より
本堂の右側、2つ目の入口が社務所・庫裏の入口で戸は開いていて中は広い土間になっていました。 中には、色々と張り紙とかあったので見ていたら、後ろから御住職が「御朱印ですか?」と声を掛けて下さいました。
洞春寺山門
四脚門・切妻造・桧皮葺
洞春寺は戦国時代に中国地方十カ国を治めた戦国大名毛利元就の菩提寺です。
この地には応永年間の初め(一四〇〇年頃) 大内盛見が建立した国清寺がありました。 この山門はその国清寺の創建当時のものといわれ、全国的にも数少ない大変貴重な四脚門です。(四脚門は、奈良時代から建造され始め、もっとも格式の高い門でした。)
構造手法は雄大で、特に太い円柱や彫刻のない大きな板蟇股、反りの大きい垂木などが当時の特徴を表しています。
なお、当寺には国指定重要文化財の洞春寺 観音堂をはじめ、数多くの文化財があります。
境内の案内板より
洞春寺観音堂
この観音堂は、永享二年(一四三〇) 大内持盛 を開基とする滝の観音寺の仏殿として創建されたものであるが、大正四年にこの洞春寺の 境内に移されたものである。
桁行三間、梁間三間、一重もこし付き、入 母屋造り、こけら葺(昭和二五年の解体修理 の際、鋼板葺に変更)の唐様の建物で、正面に 棧唐戸、左右に花頭窓があり、外部下層の種のない化粧板軒は、全国的にも例が少なく珍しいものである。上層の化粧軒は大疎種であるが、これは下層の板軒に対し、上を軽く見せる工夫である。内部の構造は簡素であるが、細部の斗供や絵様などに見るべきものがある。 床は、唐様の回半敷瓦である。岩屋造り厨子は当時のままのもので、本尊は聖観音菩薩である。
境内の案内板より
Φ ポケストップがあります・・・・ 石像、山口/洞春寺鐘楼門、洞春寺山門
Å ポケモン・ジムがあります・・・洞春寺お地蔵様