岡山県岡山市中区奥市3 に建っている「岡山縣護國神社(おかやまけんごこくじんじゃ)」です。JR福山駅から徒歩約52分。路面電車・東山駅からなら約16分、(googleマップ経路情報より)
三勲神社から向かうと岡山県道28号岡山牛窓線の途中ので道が狭いのに車の通りが多い所があったので、ちょっと遠回りになりますが、幣立山公園越えで向かいました。(帰り道で県道28号線を通った所、歩道もあり、そこまで危険でも無さそうでした。結果的には、しんどいだけでした〈^_^;)
岡山県道28号から左側(東側)に分かれて側道に入ると石鳥居があり、さらに奥市公園、野球場の横を通って行くと駐車場に到着。駐車場に接した辺りに木の鳥居。岡山縣護国神社の公式ホームページやパンフレットを見ると、此処が一の鳥居になるようです。参道から建物が離れているので、広々とした空間を歩んでいけます。
木製の二の鳥居をくぐると目の前に拝殿が見えますが、更に80m位歩いてやっと拝殿に到着しました。
境内には、慰霊碑など沢山立っていたのですが、集中力を切らし、見落としています。神社の規模にしては写真少な目です(^_^;) 拝殿で参拝した後、本来は御祈祷待ちの方の待合室だったようですが、知らずに暫く休ませて貰いました(^_^;)
玉井宮東照宮の参拝中辺りから、歩き疲れとは違った疲れと言うのか気分が悪いというのか、今まで経験が無かった状態。恐らく軽い熱中症と思います。この時期、旅先で救急車のお世話になっては大変と、14時前位で時間的には余裕がありましたが、今日は、此処までで切り上げました。本当は、近くの常住寺や国清寺、更に時間が有れば旭川を渡った西側(北区)エリアのお寺も参拝予定でした。
こんな時期に、歩き回るもんじゃ無いですね(^_^;)
二の鳥居を拝殿方向にくぐったらすぐ左側の方に社務所があります。カーテンが閉まっていたので、呼び鈴とか無いか探しながら、前でウロウロしていたら、中から開けてくれました。
張り紙には「書置きのみ」となっていましたが、「直書きと書置き、どっちにしますか?」と聞いて下さったので、迷わず直書きをお願いしました。
岡山縣護國神社(おかやまけんごこくじんじゃ)は備前藩主 池田 章政(いけだ あきまさ)公が、明治2年4月3日御後園(後楽園)裏竹田河原に於いて、戊辰の役戦死者34柱の招魂祭を執行せしめられ、次いで同年6月岡山市東山公園内に社殿と碑石を建て奥羽、函館両戦争戦死者55柱を祭祀されたのを起源とし、全国各地にある護國神社の多くは、明治2年東京招魂社(靖國神社)が創建されたのに併せ「招魂社(しょうこんしゃ)」が建てられ、後にごこく神社と改称されました。御祭神である「英霊(えいれい)」とは、明治維新の頃の戊辰戦争より大東亜戦争(太平洋戦争)までの戦いにより亡くなられた方々の功績を讃えてそう呼んでいます。御祭神は、戦いの中で病気になり亡くなられた方、負傷された方の看護の為に戦地に向かい亡くなられた方、終戦後シベリアに抑留され強制労働により亡くなられた方々もお祀りしています。
戦後の今日の平和は、国や家族を想いつつ犠牲となり尊い命を捧げられた御英霊によるものと感謝し、御霊安かれと日々慰霊顕彰に務めております。
岡山縣護国神社で頂いたパンフレットより
拝殿の左前(ちょっと離れてます)、拝殿の方に向かって二の鳥居をくぐったらすぐ左側に社務所が建っています。
Φ ポケストップがあります・・・・ 境内に多数
Å ポケモン・ジムがあります・・・岡山県全海軍戦没者慰霊碑、平和の女神、岡山平和記念館、ソロモン諸島戦没者之慰霊碑
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