広島県三次市高杉町にある「備後國二之宮 知波夜比古神社(ちはやひこじんじゃ)」です。JR三次駅から徒歩約75分、JR神杉駅からなら10分位です。(googleマップ経路情報より)
JR三次駅に着いたのが8時頃と早い時間帯だったのと、JR神杉駅がある芸備線は便数が少ない等の理由で三次駅から1時間以上かけて歩きましたが、上り下りも多くしんどいので徒歩で行くのは止めといた方がいいです(^_^;) (しかも、お留守とはショックが大きい(;_;) )
たぶん田んぼだと思うのですが、広い田園に囲まれた中で集落が集中しているエリアの端に鎮守の森に囲まれて建っていました。静かで落ち着いた神社です(航空写真で見ると見やすいです)
宮島の厳島神社の大鳥居を白い石製にしたような鳥居(両部大鳥居・両側に2本づつの支柱が付くタイプ)から、真っすぐな参道が拝殿前まで続いてました。(一の鳥居から拝殿まで見えます)
元々は、高杉城というお城の本丸の中にあった神社らしく、高杉城跡の石碑と説明板がありました(神社自体の説明板はありませんでした)
注連柱前の狛犬はちょっと個性的な顔していて、番犬が吠えて威嚇しているような格好していました。この後、三次市で沢山、犬に吠えられる事を暗示していたのかもしれません(^_^;)
高杉城跡は標高約170mに位置し、高杉の河岸段丘を利用してつくられた本丸内に神社をもつ特異な形式の平城です。この城は別名を祝要害(はふりようがい)、杉山城ともいい、中世この地方の国人領主であった江田(広沢)氏と関係の深い知波夜比古神社の祝氏が拠つたところで、江田氏の支城です。
本城の規模は現在の神社の境内を囲む南北約70m、東西約50mの範囲には土塁があり、その外側には東・西・北の三方に廻っいます。土塁は幅3~4m、高さ1~2mで盛土したものらしく、部分的には石積みも残っています。堀は幅4~5m、深さ1~2mで幅広の箱状につくられており、底は北西から東南へわずかに傾斜し、排水が考慮されたことがうかがえます。
本城跡の築城期間や城主については明らかではありませんが、祝氏との関係から観応年間(1350~1352)頃に構築されたものと考えられます。尼子氏の本城は天文21年(1552)に毛利氏との戦いにより攻め落とされ、祝甲斐守父子は滅ぼされています。その後、弘治2年(1556)毛利元就、隆元父子によって本殿(市重文)が再建されています。このように本城跡は城郭としての機能は失われても神社はすぐに復元され、元の姿は保存されていたことが推察されます。
境内の説明板より
拝殿の右前に社務所の建物がありますが、現在は使われていまいようです。社務所の入口に「御用の方は・・・」と電話番号と宮司宅への地図がかかれていました。(参道入口の鳥居の右側に写っているのが宮司さん宅です)
宮司さん宅をお訪ねした所、奥様が出て来て下さったのですが「宮司は出かけてます」との事で、残念ながら、御朱印は頂けませんでした(;_;)
Φ ポケストップがあります・・・・ 知波夜比古神社 鳥居
Å ポケモン・ジムがあります・・・知波夜比古神社、高杉城跡
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