広島県広島市東区にある「荒神山 安養院(あんよういん)」です。広島新四国八十八ヶ所霊場の第85番霊場で真言宗のお寺です。JR広島駅から東方向に新幹線の高架沿いに徒歩約15分位です。(googleマップ経路情報より)
住宅街の中、新幹線の高架沿いの角に建っていました。入口前に行くと、標石柱の右側には「真言宗御室派・安養院」とあるものの、左側には「三宝大荒神」との表札があり、石鳥居に本堂前には狛犬が見え、どう見ても神社かなと思ってしましました。小さなお寺で境内は狭かったです。鐘楼は、道を挟んで西側にあり、鐘の前にも狛犬が鎮座してました。
私が参拝してるのは殆ど広島県内ですが、案外、神仏習合のお寺(神社)が多いように感じました。
安養院 如意山観喜寺安養院 元は比治山の山腹にあり元和6年(1620年)自社年頭御礼帖に扇十本、鳥目三百文を浅野藩主長晟より奉る。御入国時の僧、存慶(〜1670年)入山。明暦三年(1657年)に火災により開基など不詳。
後、本門、本堂、本尊如意輪観世音菩薩(弘法大師作)、鎮守社、稲荷社、地蔵堂、庫裡、書院、境内東西72間、南北21間、1512坪、畝数5友12歩、一円は御免地なり、境内に雛の山あり。文化13年(1816年)頼春水(頼山陽の父)葬儀を安養院で営み、頼家の菩提寺として栄えたが、明治の廃仏毀釈で衰退。初世存慶として十三世まで続く。比治山には頼家の墓だけが残る。明治30年荒神社に移転合併。宝篋印塔は明和2年(1765年)作、現在安養院に安置。
荒神社 慶安2年(1649年)太田川大洪水により流れ着いた仏像(三宝荒神)を庄屋源左衛門が祀ったのが始まり。上流より「銀山城主武田家の守り本尊なので帰してほしい」と云ってきたが重くて持ち帰えることが出来なかった。寛文12年(1671年)盗賊が盗み出そうとしたが途中で落とし、その場が鎮座まします所として小祠を建立。
延宝5年(1677年)玄徳院殿(浅野光晟)が参詣、所領を寄進。後、元文元年(1736年)社を建立。元文2年鳥居(現在も残る) 明治、大正と複数の鉄道、検車所により境内地は減少、昭和48年新幹線建設により、さらに減少、本堂は昭和49年に再建された。 荒神町の由来は、延享2年(1745年)荒神社より名付けられた。
広島新四国八十八ヶ所霊場のホームページ より
本堂前まで行くと、中に人の気配がありました。本堂の中で御住職が御札(かな?)を作っておられました。「入っていいですか?」と断ってから中に入って、拝ませて頂いた後に、御朱印をお願いすると、忙しい中、作業を止めて書いて下さいました。(感謝です)
今回は、たまたま、本堂で御住職とお会い出来ましたが、いらっしゃらない時は、本堂の入口の左側に受付の窓口があり、インターフォンがあります。
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