広島県広島市中区白島九軒町にある「岩尾山 興善寺 宝勝院(ほうしょういん)」です。広島新四国八十八ヶ所霊場の第64番霊場で真言宗のお寺です。JR・アストラムラインの新白島駅から徒歩約13分(googleマップ経路情報より) 【 googleマップはちょっと遠回りの道になっているので実際は10分弱で行けると思います】
私が行った時、2階の本堂の前で御住職が色々な整理作業されていたので、「入っていいですか?」と聞くと鍵を開けて本堂に入らせて下さいました。御朱印のある場所も親切に教えて下さいました。「確か1枚残っていたと思うけど、もし無かったらすぐ書きますから言って下さい」との有難いお言葉でした。
天正年間、毛利輝元公広島築城の折、広島城の鬼門守護して慶長三年(一五九八年)住古よりこの箱島(白島の古名)に祀ってあった掟明神社を造営しその別当として、築城奉行二宮太郎右衛門就辰(輝元公の叔父)の子孫増仙法印を開基として、伽藍一を建立せしめ社領として五百石を給わせられた。慶長五年豊臣方に味方し戦った毛利公は、徳川方に敗れた為防長に移封された。次の藩主福島正則公の代に寺領を没収される。明治初年神仏分離の際に、碇神社と境内を分離縮小された。昭和二十年八月六日、原子爆弾に被爆し諸堂ごと焼失した。昭和五十年に本堂続いて五十四年に会館庫裏が復興せられた。本尊阿弥陀如来は桃山時代の作である。墓地には浅野藩四代藩主綱長一公の側室春登院殿が天文元年(一七三六年)に建立された宝篋印塔がある。鎮守には、若宮稲荷と当護稲荷というダブルの稲荷大明神が祀ってある。境内には昭和五十一年に水子地蔵尊が建立され霊験新たかなお地蔵さんとして、参拝者が絶えない。
広島新四国八十八ヶ所霊場のホームページより
御朱印は本堂内では無く本堂の建物の右前、「水子供養諸祈願受付」の窓口の右奥の長机の上に御納経箱が置かれていました。御住職の言われた通り、1枚残っていた書置きの御朱印を頂きました。
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