散歩道: 興禅寺 (広島県広島市中区西平塚町)

 広島県広島市中区西平塚町にある「海嶋山 興禅寺(こうぜんじ)」です。広島新四国八十八ヶ所霊場の第53番霊場で臨済宗のお寺です。広電の路面電車・銀山町駅から徒歩約7分です。(googleマップ経路情報より)
 

興禅寺 縁起

 興禅寺は山号を 海嶋山と称し、臨済宗妙心寺派に属し、四百有余年以前よりからの歴史を今に伝えている。
 永正年代(1500)の頃から臨済宗の寺院として高田郡吉田町(現在の安芸高田市)の郡山城の麓にあった。毛利家歴代(元就、隆元、輝元)の尊崇厚く、宗風大いに上がり支配下寺院六か寺を数える大寺となった。
 時が経ち天正十九年(1591)輝元 広島に城を構え移り、明く文禄元年(1592)興禅寺を現在地平塚に移した。
 その後、輝元が深く帰依された広島における開山雲嶺永智禅師を名古屋市の海国寺より請じ、臨済宗妙心寺派に属したのである。
 慶長五年(1600)輝元、萩に移りしも、広島の地に残り、福島時代となり他の臨済宗の寺院はほとんど萩に移るか、又は福島により改宗させられたり、廃寺となったが雲嶺禅師の徳により当寺のみが残ったのである。
 浅野長晟が元和五年(1619)福島に代わり広島の領主となりしも、雲嶺禅師に深く帰依され、それからは浅野家歴代藩主の信心ならびに庇護を受け宗風大いに上がり、末寺五か寺を有し広島で屈指の名刹に数えられた。
 時はたち明治になり社会情勢の変転及び昭和二十年の原爆により堂宇寺宝記録等一切を焼失した(本堂横の鬼瓦は当時の面影を残す唯一のものである)が、昭和三十五年再建し以来広島において四百有余年の歴史を誇り今なを現在に至る。

                                  境内の説明板より

 本堂に上がる階段の右下側に机が置かれていて、その中に御朱印が置かれていました。

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