広島県廿日市市天神にある「廿日市天満宮(はつかいちてんまんぐう)」です。JR廿日市駅からは徒歩約4分、広電・廿日市駅からなら3分位です。(googleマップ経路情報より)
(googleマップ、道の無いとこ通っているので、プラス2,3分して下さい(^^;) )
天神山という小高い山の上にあり、側面に「天満宮」という名称が掲げられているので、駅からでも場所は直ぐに分かりました。表参道は反対側にあるので少し遠回りになります。脇参道からなら近道になります。脇参道から入ると境内社の稲荷神社横から随神門をくぐった後ろの階段に繋がっていました。
随神門の中には、金と銀の狛犬? 獅子?が安置されていました。但し、ガラスと菱形の格子で囲まれているので中は見え難かったです。写真撮るのは更に難しいです(^_^;)
小高い山の上にあるので、拝殿の前の展望台からの眺望は綺麗でした。
当社旧記によると、廿日市天満宮は鎌倉時代の承久2年(1220年)に藤原親実公が厳島神社の神主として幕府より任命され、廿日市の桜尾城に着任の後天福元年(1233年)に守護神として鎌倉の荏柄天神を勧請してこの篠尾山に社殿を造り鎮座されたもので、それよりこの山を天神山と言うようになりました。
また親実公は厳島神社造営のため、鎌倉より多くの大工、小工、桧皮師、瓦師、鍛冶鋳物師などを招き、その子孫も多くこの地に永住するようになり、町も港も栄える基を開かれました。親実公より15代続いた藤原神主職も天文2年(1533年)周防の大内義隆に討たれ断絶しましたが、この天満宮の祭礼神事は大内氏が厳島の上郷、祝師、棚守職らに命じて住古の如くに行わせ、神領も寄進して御神徳益々栄えていましたが、その後百年余りの間に神主もおらないので社殿も荒れ転倒するまでになりました。慶安5年(1652年)町の氏子より寄付を募って社殿を造営し、社傍に一寺を作り天満宮別当天神坊とも言いましたが、明治維新の際分離し今日に至っております。
慶安の年に建造された社殿は明治17年(1884年)に火災で焼失し、現在の社殿は明治22年に再建されたものです。
公式ホームページより
拝殿の右側に社務所の窓口がありました。実は、私が参拝した時、神主さんは普段着で手水舎前辺りにいらっしゃって、ほぼ、同じタイミングで石段を上がっていました。近所の方が参拝にいらしているのかと思ってましたが、社務所に入って行かれたので初めて神職の方だと分かりました。
社務所に入られたのを見て、すぐに御朱印のお願いに行きました。
御朱印のページへ
Φ ポケストップがあります・・・・廿日市天満宮
Å ポケモン・ジムがあります・・・廿日市天満宮鳥居