広島県広島市安佐南区安東にある「田中山神社」です。googleの地図にしてもweb上でのページにしても、住所が2種類あってどっちが正しいのか調べてみましたが、田中山神社のお祭りのお知らせ等に書かれている住所「安東6-3-2」が正しいようです。(もう一つの上安の方は、宮司さんのお家の住所らしいです(^_^;)。現在はgoogleマップの方も、田中山神社をクリックすると、正しい住所が表示されるように直ってました。)
長い石段の左側には緩やかな坂道がありました。石段がきつい人は、坂道の方を登った方が楽かもしれません。
神社としては珍しい赤レンガの社殿でした。
神社明細帳によれば、当田中山神社の祭神は、帯中津日子命「たらしなかつひこのみこと」(仲哀天皇)、息長帯比売命「おきながたらしひめ の みこと」(神宮皇后)、品陀和気命「 ほむだわけのみこと 」(応神天皇)、大雀命(おほさざきのみこと)「仁徳天皇」 、 多紀理毘売命(たきりびめ) 、 市寸島比売命(いちきしまひめ) 、多岐都比売命( たぎつひめのみこと)、菅原大神とある。
この神社は、承久の変の戦功により、安芸国守護職に任ぜられた武田伊豆守信光の子孫、第五世武田伊豆守信宗が、正安元年(1299)、安芸国佐東郡(後に沼田郡となる)銀山(武田山)の峰に築城した際、鬼門を除くため当社を勧請したと伝えられる。
拝殿内部の田中山神社御由緒額より
入口付近
田中山神社の入口にある石鳥居から参道、石段周辺の風景です。石段下のエリアは結構広く狛犬、 御神牛像 、手水舎、記念碑、イチョウ等の大木など色々な物がありました。
大利神社
石段上がって右側にある境内社・大利神社です。「大利神社」との扁額を掲げてあるだけで、詳しい説明等はありませんでした。
本殿
安永7年(1778)に再建された後、191年間風雨に耐えてきたが、腐蝕や白蟻被害などもあり昭和44年に日本古来の建築美術を末永く残すために修復したものだそうです。
拝殿の方も、明治20年に焼失後、明治21年に再建、昭和43年に大修理を行い赤色明石瓦をもって葺き替えたそうです。
さざれ石
国歌「君が代」に出てくる「さざれ石」です。学校では意味も分からず歌ってましたが、「さざれ石」・・石灰質角礫岩で、元々は小さな石灰石が沢山集まって大きな岩になったものを呼ぶようです。国歌では、小さな石が大きな岩になって更に苔が生えるまでの長い歳月を比喩しているそうです。
Φ ポケストップがあります・・・・神社の柱、高木 幹吾翁顕彰碑、神楽殿
Å ポケモン・ジムがあります・・・Sazareishi, Mythical Stone in、田中山神社前の狛犬