散歩道: 広島東照宮 (広島県広島市東区二葉の里)  二葉山七福神巡り(4)

広島東照宮
広島東照宮

 広島県広島市東区二葉の里にある「広島東照宮」です。 「七福神巡りの4つ目の目的地です。 JR広島駅から10分、長尾天満宮からなら7,8分位です。
 東照宮と言う名前ですから、お祀りしているのは徳川家康公です。慶安元年(1648)に広島藩主・浅野光晟公が広島城の鬼門(北東)に当たる二葉山の山麓に造営されたものです。  
 東照宮境内の案内板にも、公式ホームページにも書かれていましたが、道路1本挟んで、東照宮の北側にある金光稲荷神社から奥社までは東照宮の境内内ということだそうです。
 七福神の一人「福録寿(ふくろくじゅ)」像は、本殿の裏側におられました。

広島東照宮の由緒

  広島東照宮は徳川家康公を御祭神にお祀りした神社です。家康公薨去(こうきょ)後33年忌に当る慶安元年(1648年)、当時の広島藩主浅野光晟(みつあきら)公(浅野家第四代)によって、広島城の鬼門(北東)の方向に当たる二葉山の山麓に造営されました。光晟公の生母は、家康公の第三女、振姫(ふりひめ)であったことから、祖父家康公の御遺徳を敬慕すると共に、城下町の平和を願って神霊を祀りました。歴代藩主、社領三百石を付し、広島周辺の崇敬を集め、春秋の祭礼の外、家康公薨去後50年に当る寛文6年(1666年)以後は、五十年毎に盛大な祭典が行われました。 社殿は、「二葉山山麓に位置し、観望の美麗なるは、毛利氏広島に築城以来、第一のもの」と云われていましたが、昭和20年8月6日の原子爆弾の熱風により、桧皮葺本殿、中門、瑞垣、拝殿は焼失。 現在の社殿は、昭和40年4月、家康公薨去後350年祭を記念して再建されました。
                  公式ホームページより転載

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参道入口の石鳥井

石鳥居
石鳥居

 広島東照宮の表参道の入口にある石鳥居です。「廣島東照宮」との扁額を掲げています。

参道から石段と唐門

参道・石段・唐門
参道・石段・唐門

 石鳥居を潜ると左右に石燈籠が並んだ参道が続き長い石段へ続いています。更にその先に大きな唐門へと続いています。

拝殿

拝殿
拝殿

 本殿は一間社流造。唐破風付、銅板葺となっています。原爆で当時絵皮葺であった華麗な社殿は焼失しましたが、御神体は奇跡的に焼失を免れました。
 現在の本殿は昭和は59年、拝殿は昭和40年に再建されたものです。    公式ホームページより

本地堂

本地堂
本地堂

 江戸初期、慶安元年の造営。宝形造。当初、徳川家康公の本地仏である薬師如来が祀られていましたが、明治以降は、神奥舎に転用しました。今では数少ない神仏混合時代の遺構で、貴重なものとされています。     説明板より

福禄寿(ふくろくじゅ)

福禄寿
福禄寿

 七福神巡りの4番目「福禄寿}像です。
『仰ぎみる その御頭の 長きこと 延寿の徳を与えまします』
 福禄寿は円満な人格、誰からも信頼され尊敬される徳を与えて下さいます。長い頭は冷静に慎重に物事を考えて行動することを表しており、福は幸福、禄は高禄、寿は長寿、この三徳を兼ね備えた神様です。   説明板より

御産稲荷社

御産稲荷社
御産稲荷社

 徳川家康公の母・於大(おだい)が、家康公を身ごもられた時、無事に生まれて立派な武将になれますようにと、薬師如来に祈願されたことから、東照宮にお参りすると安産の御利益があると言われるようになりました。   案内板より
 すぐ横に撫でると安産・子授・子育の御利益があるという「亥の子石」や絵馬堂もありました。

Φ ポケストップがあります・・・・広島みこし行列、原爆慰霊碑
Å ポケモン・ジムがあります・・・広島東照宮

  

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