
山口県萩市堀内にある「萩城跡(はぎじょうあと)」です。JR東萩駅から徒歩約39分。JR玉江駅から26分位。志都岐山神社は萩城跡の中にあります(googleマップ経路情報より)
萩の三角州の北西側に位置し、指月山と言う目立つ目印があるので、迷う事も無さそうです。
大きく南側の神社や庭園、石垣やお堀が有るエリアと北側の志筑指月山エリアに分かれていました。
萩の町の御朱印巡りでお話を聞いていると、萩市は景観保持等の為、場所によっては、「電線は地下を通す」「エアコンの室外機は表には置かない」「20m以上の建物は禁止」みたいな色々と規制が多いようです。指月山は、標高145mで山頂から萩の三角州が一望出来きる場所があったのですが、町並みを一望した所、精々、4,5階建て位までで、高い建物は見えませんでした。
御城印は、萩城跡入口の料金所で販売されています。
萩城跡
萩城は関ヶ原の没後、毛利輝元が、慶長九年(一六〇四)築城に着手し四年後の同十三年(一六〇八)に至って完成したものである。萩市街の西北隅、指月山(標高一四三メートル の麓に位置し山名をとって指月城とも呼ばれた。山麓の平城と頂上の山城とを併せた平山城である。
当時、輝元は隠居していたが、その子、初代 藩主秀就が幼少のため、築城後も政務を執っていた。以後、代を重ねること、十三代敬親に至って幕末多端の国事を処理するに不便なため、文久三年(一八六三)四月山口に移った。
ついで明治七年(一八七四)建物のすべてが解体された。本丸には高さ十四、五メートルの五層の天守閣が あったが、今はその台座のみ残っている。周囲には石塁を築き内部に 藩主の居館ならびに藩役所と付属建物があった。この城は二五九年間、防長両国政治の中心であり明治維新に 大きな役割を果した重要拠点でもあった。
敷地内の案内板より
















指月川を渡ると石垣の道をクランク状に抜けるとお堀や城跡の石垣が見えてきました。
お堀沿いを少し西に歩くと萩城跡と志都岐山神社と彫られた石柱の間から、石製の橋、橋でお堀を渡った正面に料金所がありました。
料金所から左側に行くと指月公園で広いエリアに出ます。公園の、東側は志都岐山神社の長い参道から社殿が立っているエリア、西側は、旧梨羽家茶室、花江茶亭(花江御殿移築茶室や庭園などのエリア、北側には指月山、南側には石垣が連なり、南西側には天守閣があった他より少し高くなっている石垣の土台が有りました。天守閣跡や石垣の上は登れるようになっていました。天守閣や櫓などの建物は残っていませんが、スマホやタブレットのアプリを通してバーチャールで天守閣は見れるようです。
指月山
ここ、指月山の山頂(標高百四十三メートル)は、要害または詰丸と呼ばれ、戦時に籠城するための、まさに最後の砦であった。 要害は周囲を石垣と土塀でとり囲み、要所には矢倉を配置していた。 平時には眺望の利く大小様々な矢倉から陸地と海上を監視した。 矢倉内には緊急時に備え、武器類も配備されていたようである。
矢倉門である要害門矢倉を抜けると、二の丸(東西十九間・(三 十七.四メートル)、南北二十間・(三十九・四メートル)が広がる。 建物は現存しないが、二の丸には監視役の執務場所である要害番 所と宿所である居小屋が存在した。
さらに一段高くなった東側には本丸(東西二十四間(四十七. 三メートル)、南北二十間(三十九.四メートル)があった。本丸には天守が存在したという記録はないが、藩主が要害登山時に儀礼空間や酒肴の場として用いた茶屋が建っていた。二の丸と本丸との間は土塀で仕切られ、両者は棟門で連絡していた。また、本丸の東端には裏門となる埋門があった。なお、鬼門の方角にあたる北国矢倉の石垣は北東隅を欠いた石積みとなっており、興味深い。
この他にも飲料や消火用の貯水施設であった用水や池、石垣石材を調達した石切場などが残っており、要害の機能や築城過程の一端をうかがい知ることができる。
山頂付近の案内板より
















萩城跡の北西側の奥の方に、指月山の登山道入り口がありました。登山する気は無かったのですが、案内板で、「山頂まで130m」とのことだったので、その位なら、と登ってみました。
緑や木々に囲まれた山道で、結構、急な坂道でした。「山頂はまだか? もう、130m以上は登っただろう」と思ったら、案内板があって「山頂まで350m」と。「えっ! 何で増えるんだぁ~」と思ったものの、此処まで登っていたのだからと山頂を目指しました。結局、20分位登ると石垣と土塀が見えて来ました。
詰丸、要害と言われていて、籠城戦の最後の砦と考えられていたようです。案内板の数値から計算すると西側の二の丸エリアが1473㎡、一段高い東側の本丸エリアが1863㎡の広さがあるようです。現在は建造物は石垣や土塀が残るのみですが、以前は、矢倉や詰め所みたいなものが沢山立っていたようです。飲用や消火用の水を溜めておく用水櫓跡などもありました。
現在は、木々が生い茂っていて、何か所かのビューポイント以外では、余り眺望が望めませんが、昔は、海側、町側等の展望も良かったのではと思います。監視所としても最適な場所です。
北側は断崖、南側は急斜面、監視所であり、小規模ながら、まさに難攻不落の山城って感じでした。当時は一国一城が基本だったので、幕府には監視櫓的な報告だったのかな?
山頂付近には、鑿(ノミ)で付けたような跡が沢山残る岩がありました。山頂に平地を造る為に切り出した岩から、石垣用の石を切り出していたそうで、その名残だそうです。
下山してきて、最初に見た案内板をよくよく見ると「7」の上の横棒部分が薄れて短くなっていた為、「1」に見えていたようでした。最初から730mと分かっていたら、登らなかったかもしれません(^_^;) でも、まぁ、苦労して登ったかいはありました。
Φ ポケストップがあります・・・・ 多数あり
Å ポケモン・ジムがあります・・・多数あり
