
大分県大分市寒田に建っている「西寒多神社(ささむたじんじゃ)」です。JR大分大学前駅(豊肥本線)から徒歩約42分。ふじが丘南バス停からだと8分位です。(googleマップ経路情報より)
時間帯や他の神社仏閣を回るのにも良い順番と言うことで柞原八幡宮の次に西寒多神社に参拝しましたが、この2神社はかなり離れた場所にあります。色々調べて柞原八幡宮からJR西大分駅⇒JR大分駅と移動後、
①JR豊肥本線でJR大分大学前駅⇒徒歩40分位
②バス「ふじが丘方面」でふじが丘南バス停⇒徒歩8分位
の2択を見つけましたが、いずれも便数が少なく、また、参拝後に早めにJR大分駅に戻らないといけないので、綱渡りのようでした。(現地での参拝自体の時間は十分にありました)
結果的には②の経路で参拝に行きました。事前に調べているものの、初めての場所でのバス利用は乗り場はここで良いのか?、このバスで良いのか? 目的のバス停に止まるのか? 等など不安が一杯(^^;)
ふじが丘南バス停からナビを頼りに行きましたが、相変わらず方向が不安定で何か所かどっち?って所もありましたが、何とか無事に着けました。
こちらの周辺では、川や地名には「寒田」、山や神社には「寒多」の字が使われていて混乱しそうです。調べてみても、使い分けしているのか?どちらから派生したのか等、はっきりとは分かりませんでした。
ふじが丘南バス停から向かうと西寒田川を挟んだ対岸側に着き、幟や記念碑が立っていました。ここから神社へは、ゆるやかなアーチ状の石橋(萬年橋)で神社エリアと結ばれていました。橋を渡って左側には1本の木からなる藤棚があり綺麗らしいですが、残念ながら10月の為、片鱗も残ってませんでした(^^;)
橋を渡ると空気感が変わってきます。橋の先には石鳥居がたっていて、その先に社殿が見えて来ました。
社殿前に行く階段の両脇に狛犬がいました。階段の途中(下側)から見るせいもあり、スマートな体形で少し上を向いて遠吠えしているような姿でした。
拝殿には「鎮国一宮」(豊後一宮)と書かれた扁額が掲げられていました。拝殿の内側には「西寒多神社」の扁額が掛かってました。柞原八幡宮も「豊後一の宮」と名乗ってましたね。競ってるのかな?
拝殿前の石段の下側には「鬼の歯形石」と言われているちょっと大きな細長い手水鉢みたいな石がありました。昔、霊山に住んでた鬼と巫女の親子が一晩で霊山から本宮山まで橋を架けられるかと言う勝負をしたそうで、本当に鬼が一晩で橋を架ける直前まで行った時に巫女の親子が手ミイを叩いて鳥の鳴きまねをしたら、鬼が朝が来たと思い残念がって石を齧ったとの言い伝えがあるそうです。案内板に「手ミイを叩き」とありますが、「手ミイ」って何ですかね?
石鳥居を抜けた参道の右側にある手水舎の横からは奥宮(本宮社)へ行く道がありました。2時間掛かると書かれていたので、今回は諦めました。
参道の途中、左側に社務所があり、参拝後の帰りに御朱印を頂きに行きました。社務所前に撮影禁止の張り紙がありました。神社で撮影禁止は初めてかな? でも参拝して写真撮って最後に社務所に寄って、もう手遅れ(^^;) せめて参道の途中か拝殿前にでも張り紙してくれないと(^^;)
西寒多神社公式ホームページ
創祀は遠く応神天皇9年4月に武内宿禰勅令を奉じて西寒多山(本宮山)山上に宮殿を建立すとあり延喜式内の大社として国司をはじめ武将の信仰あつく、特に大友能直公、宗麟公をはじめ代々の尊崇厚く応永15年(1408)3月、大友親世公社殿を現在地に遷し、家内安全、婚姻、学問、農業、食物、厄除、交通安全、消防の守り神として国民の崇敬いよいよ深く、明治4年5月14日国幣中社に列格、豊後の国の一の宮として皇室及び国家の優遇を受け宝物として宗麟愛用の印章4個、大友能直、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の古文書を有し、現在別表神社として崇敬をあつめている。
境内の説明板より
石鳥居をくぐってすぐ位、参道の途中左側に社務所がありました。
















Φ ポケストップがあります・・・・ 西寒多神社のフジ、西寒多神社の土俵、神庫、西寒多神社石灯籠
Å ポケモン・ジムがあります・・・西寒多神社本殿、西寒多神社
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